Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー問答集~#300~#313>問答(16)問16-30~16-43<定学疑問編>14 編。

☆11月より長期リトリートに入る為、公開の翻訳文が少し多くなっています。よろしくお願いいたします。

#300-151008

問16-30 初めて安般念を学ぶ初心者にとって、適切な環境、場所、位置、身体の姿勢は、どれも重要でしょうか?これらの外部条件は、初心者の心の平静と内摂(心を内側に収める事)に影響しますか?

答16-30 はい。適切な環境と姿勢は、修行者が定力を育成するに当たって、非常に重要だと言えます。不適切な外部条件は、修行者の心の平静と内摂に影響を与えます。騒がしい環境で定力を育成するのは、静かな環境より困難が多いです。姿勢については、通常、座った姿勢が禅の修行にはよいです。

#301-151008

問16-31 初心者が修行するには、どのような環境、空間がよいですか?

答16-31 仏陀は森の中、木の下又は空き地が、禅の修行に適していると言いました。今、皆様は森の中にいるのでもなく、木の下にいる訳でもなく、多くの修行者と一か所に集まっていますが、皆さんが他人の事を気にせず、すべての雑事を横に置いて、一心に自分の禅修行の対象に注意を向けるのであれば、皆さんは空き地にいるのと同じになります。それに、皆と一緒に修行すれば、精進心も刺激されます。そうなれば、修行は早く進歩する事でしょう。

#302-151008

問16-32 比較的清潔で静かな場所で修行すると、心は非常に簡単に内に向けて静まるのに、騒がしい環境においては、内摂(心を内側に収める事)が難しいのは何故ですか?定力が足りないからですか?騒がしい環境にあって、自己の心はどのようにコントロールするのが良いですか?

答16-32 清潔で静かな場所で修行する時、修行者は多くの時間、自分の禅修行の目標に専注する事が出来、少しの時間だけその他の対象に向ける事になりますから、修行者の心は非常に簡単に内部に向かいます。騒がしい環境で修行する時、多くの時間、修行者の心は騒音などの各種の対象によって干渉され、少しの時間しか自分の禅修行の対象に注意を向ける事ができません。その為、修行者は本当の内摂を実践する事ができません。修行者が自分の心を内部に収められないのは、定力が足りないためです。十分な定力のある人にとって、たとえば仏陀や彼の多くの聖弟子は、騒音の干渉を受けず、どのような場所においても自在に安止定に入る事ができました。もし、騒がしい場所で自分の心をコントロールしたいのでれば、まずは、騒音を気にしない事、一心に禅修行の対象に専注する事です。あなたは騒音に干渉された時、失望してはいけません。「なせばなる」という通り、上に述べた方法で忍耐力をもって何度も練習していると、あなたは徐々に進歩する事ができ、最後には、どのように五月蠅い所であっても、自分の心を静かで、不動の状態に保つことが出来ます。

有名なウェブ大師(Webu Sayadaw)は、「あなたは聴覚の生じない場所に行く必要がります。どのようにすれば、そのような場所に行けるのか?完全な静けさを保っている場所を見つけるのは非常に困難です。たとえ、森の中であっても、野獣、鳥、虫等の叫び声と風が木々を揺らす音が聞こえて、各種の音に満たされているものです。完全な静けさを保つ方法とは、あなたが完全に自己の禅修行の対象に専注する事なのです。心が安止定の中にいる時、あなたは全く何も聞こえなくなります。故に我々は、あなたが聴覚の生じない場所に行った、というのです。《アビダンマ蔵》によると、一つの刹那に二つの心が同時に生起する事はできません。故に、あなたが不断に禅修行の対象に専注する時、あなたはその他の如何なる対象も認識する事がなく、音など聞こえる事はないのです。

#303-151008

問16-33 我々は安般念の初心者です。禅師の著書を読んでいますが、ある種の友人は、本を読むだけでは(理解と修行が)徹底できないと言い、我々を指導しようとします。このような状況の中で、我々はどのような態度でいるべきでしょうか?

答16-33 指導者、導師に教えて頂くのが、一番いいです。

#304-151008

問16-34 禅師は、四界分別観か安般念を入門とする方法を強調していますが、仏陀は色々な衆生を指導した時、やはりこのように言ったのでしょうか?

答16-34 修行者個人の性格に基づいて、最も適する業処を指導するのは仏陀の範囲に属します。というのも、仏陀だけが衆生の潜在的な傾向を知る智慧(āsayānusayañāṇa)を持っていたからです。 我々にはこの種の智慧がない為、通常、私は最も普遍的な業処から入門させます。もしあなたが仏陀の教えたその他の業処の方が自分に適していると思うならば、あなたは当該の業処を選んで修習して下さい。このようにしても、全く問題はありません。

#305-151008

問16-35 座禅して3年、5年又はもっと長くたっても、何らの禅相(成果)もない時、どのようにすればよいですか?

答16-35 この様な状況においては、修行者は先に、自分が賢明で能力のある先生の指導の下、正確な方法で順序よく修行しているかどうか、又、本当に好きで毎日修行しているのかを、点検した方がいいです。あなたがすでに上述の事をしていて、なお進歩がないのならば、あなたは他の業処に代えて修行するのがいいでしょう。《清浄道論》の中に書かれた40種類の業処の中から一つを選び、一か月以上、精進してみて、その結果がどうなるか、試してみて下さい。もし、全く進歩しないのであれば、又別の業処を選び、少なくとも一か月精進してみます。もし、全く進歩しないのであれば、又別の業処を選び、少なくとも一か月精進してみます・・・。このように自己に適する業処を見つけるまでチャレンジし、その後にその業処を対象に、持続的に修行を、成功するまで継続します。

#306-151008

問16-36 座禅すると馬鹿になりますか?

答16-36 座禅は人を馬鹿にする事はありません。ゴータマ仏陀本人を範として、この事をはっきりと理解して下さい。もうすぐ成道するというあの日の夜、彼は菩提樹の下で座禅修行に精進し、その後に聖果を証悟しました。もし、座禅が人を馬鹿にさせるならば、彼は悟りを得られなかったでしょう。

#307-151008

問16-37 私が修習している安般念において、進歩しているかどうか、どうやって分かりますか?私が正しい方向に向かって邁進している事をどうやって知る事ができますか?

答16-37 あなたが一心に気息に専注できるならば、あなたの修習している安般念は、進歩しています。遍作相、取相及びに似相が順序よく生起して、かつ、あなたがそれらに対して一心に専注する事ができるならば、あなたの安般念修習は進歩しています。あなたが初禅、第二禅、第三禅、第四禅と順序よく証する事が出来たならば、あなたの安般念修習は進歩しています。あなたが気息の中の四大を識別する事ができる、かつ色聚が見えて、その中の究竟色法を分析できる時、あなたの安般念修習は進歩しています。あなたが気息を生じさせる名法を識別する事ができる時、あなたの安般念修習は進歩しています。あなたがこのように進歩する時、あなたは正確な方向に邁進しています。

#308-151008

問16-38 私が安般念を修習する時、白い雲のような禅相は見えませんが、一時間か又は二時間ほど、顔面に不透明な陽光が照っているようになります。このような状況のまま、一か月が過ぎましたが、似相はまだ見えません。どうして進歩しないのでしょうか?何か方法を間違えているのでしょうか?

答16-38 あなたの五根が非常に弱いからです。

#309-151008

問16-39 どのようにすれば、鼻孔の周囲の気息に、長時間専注していられますか?

答16-39 あなたは、歩く、立ち止まる、座る、横になるという四種類の姿勢すべてにおいて、不断に禅修行をし、正念と正定を不断に育成するべきです。

#310-1008

問16-40 初心者にとって、禅修行中に光が出現したならば、注意を向けた方がいいですか?もし全く気にしないのであれば、光は消えてしまって、二度と現れないのではありませんか?先生の指示に従って、光に注意を向けないようになってから、心が不安定になり、心を静かにして修習を続ける事ができず、耳は、意味もなく周囲の音を聞くようになり、確信を持てず、修習を放棄したくなります。これは業障でしょうか、それとも魔境でしょうか?

答16-40 業障でも魔境でもありません。光が出始めた初めの頃、通常は、不安定なのです。というのも、あなたの定力が安定していないからです。あなたの定力が安定したならば、それは出現し、あなたの定力が弱い時、それは消失します。あなたがそれを失うのは、あなたの定力が弱いからです。あなたは今、また再び光が見えないのは、あなたがその事に失望しているからです。安般念の修行をしている時、あなたは何物をも期待せず、ただ一心に気息に専注しなければなりません。あなたの定力が堅固で安定した時、光はずっとあなたと共にいます。

#311-151008

問16-41 安般念の修行では、禅相が見えたら入禅します。入禅した後、過去世の状況、たとえば、どこの国に生まれて、どのような人間であったとか、を知ることができますか?

答16-41 できません。それは宿命通の範囲になります。

安般ジャーナの助けを借りれば、あなたは簡単に四界分別観が出来まするようになりますから、その後に更に進んで、色業処と名業処を修行します。その後に、あなたはあなたの過去世における名色法を観て、無明、愛、取、行、業の 5 項から、今世のあなたを生じさせた因を探す事ができます。このように、あなたは安般ジャーナの支援のもとに、観智を育成し、過去世の名色法を照見する事ができます。しかし、名称概念、たとえば、あなたの名前、生まれた場所の地名などは、観る事はできません。

#312-151008

問16-42 安般似相を光明遍または白遍の対象として、修行する事はできますか?

答16-42 できません。パーリ聖典及び註釈では、このような教えは記載されていません。

#313-151008

問16-43 安般念を修習する時、私達は経行の時に、右足上がった、前に出した、右足下した、と観察してもよいですか?

答16-43 最もよいのは、自分の気息に専注する事です。もし、あなたが経行の時に順序よく全身の四大を観じたいのであれば、それは可能です。ただし、あなたが正統でない方法で修行するのならば、それは良くないです。

(翻訳文責 Pañña-adhika sayalay)

初めてご来訪の方へ:上記は、台湾より請来した「禅修問題与解答(パオ禅師等講述)」(中国語版)の翻訳です(仮題「パオ・セヤドー問答集」)。「智慧の光」「如実知見」の姉妹版として、アビダンマ及びパオ・メソッドに興味のある方のご参考になれば幸いです。(一日又は隔日、一篇又は複数篇公開。日本及び海外でリトリート中はブログの更新を休みます。Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu)。