パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-18
基礎禅~
仏陀はここにおいて、四色禅を観智の基礎とする方法を
教えている。
パーリ系仏教の伝承では、二種類の、異なる観を修する行道が
ある、と言う。
その内の一つは、止行道(samatha-yānika)で、この行道は、
先に止禅を、近行定または安止定まで修し、それをもって観を
修する基礎とする。この種の行道を行く止行者は、先に近行定
または色禅または無色禅を修行してそれを証して
おかねばならない。その後に、ジャーナに入った後、
生起する名色法を識別する所から、観の修習を始める。
その後、欲界の名色法(kāmāvacara-nāma-rūpa)、例えば、
眼門心路過程等々を識別する。この後は、修行者本人の因縁に
従って(+修行するが)、これが即ち、縁起の実習方法、
という事になる。
その後、修行者は、名・色及びそれらの因の三法である
無常・苦・無我の三相を、再び観照する。この種の禅修行者
に関して、彼が以前に証悟した近行定または安止定は心清浄
であり、それはすなわち、七清浄の内の、第二項の清浄に相当する。
もう一つの修行方法は、「純観行道」(suddhavipassanā-yānika)
といい、この種の行道は、止禅を(観の)修行の基礎としない。
まず、戒で(+己を)清浄にした後、禅修行者は、系統的に
(+順序に従って)、四界分別観を修習する。
修行者が、名前を色聚という微小な粒子を観る事ができるように
なったら、彼はそれらを識別する必要がある。もし彼が、色聚内部の
四大界を識別する事ができ、また、四大界に専注することができた
ならば、その時の定力は、隠喩的に「近行定」と呼ぶが、実は、
本当の近行定ではない。
真実の近行定は、ジャーナに近い定を指す。四界分別観においては、
禅修行者がいかように精進しても、ジャーナを証する事はできない。
なぜか?
色聚内部の四大界の特相(=現前する特徴)は、非常に奥深いから
である。(+それらは)一たび生起するやいなや、たちまち滅尽する。
これら、不断に変易する四大界は、非常に集中力のある心でなければ、
目標とすることができない。
修行者の観照力が増強され、又、正確になった時、その心は、
自然に色聚の内部の、不断に変易する四大界の流れに専注する事
ができる(+ようになる)。この時の定力は、ほぼ、近行定と
同等である。
四大界の特相の、刹那から刹那への(+生滅変化への)心の
専注力は、止刹那定(samatha-khaṇika-samādhi)と言う。
この時の心の安定度が、近行定の相と等しいので、これを
純観行者の心清浄、と言う。
この種の禅修行者は、またの名を「乾観行者」(sukhavipassaka)
と言うが、それは、彼がジャーナの「潤い」を得ないまま、
観禅の修行をするからである。(+ )(= )訳者
(つづく)
(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)
中国語版→日本語翻 訳文責Pañña-adhika sayalay)