南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-51

一、その他の対象への作意

経の中で、仏陀は引き続き開示して、言う:

「諸比丘、当比丘注意(作意)某種対象時、由於該対象的縁故、

比丘心中生起与貪、瞋、痴相関的邪悪念頭。這時、他応当注意与

善法相関的其他対象。当他将注意力転移到与善法相関的其他

対象時、他就能払除心中的一切貪、瞋、痴悪念、使悪念止息下去。

由於払除了悪念、他的心得以向内穏定、平静、専注、一心。

就好像善巧的木匠或木匠的徒弟、能用細的木釘将粗的木釘打掉、

移除、取出。同様地、当比丘注意(作意)与善法相関的其他対象時、

他的心就能向内穏定、平静、専注、一心。」

上述の経に対する、註疏の解釈は以下の通り:

「与貪相関」とは貪欲と相応する事。我々は貪、瞋、痴と相関する

三種類の妄念の起源(khetta田)及び対象について必ず理解を

得なければならない。

貪と相関する妄念の起源は、貪欲に相応するは八種類の心。

瞋と相関する妄念の起源は、瞋恚・怨恨に相応する二種類の心。

痴と相関する妄念の起源は、十二種類のすべての不善心。

この三種類の妄念はすべて、有情衆生及び無生命物を対象としている。

というのも、これらの妄念の生起は、有情衆生と無生命物が好きで

あるか、または嫌いであるかによって造り出されているからである。

偏見は、無知の下で、世間的な方式で物事を判断し、不如理作意

(迷いと惑いの注意力)によって対象に執着する事を通して(+生起する)。

「不如理作意によって対象に執着する」とはどういう事か?

もし(+あなたが)男性がいる、女性がいる、金・銀などなどが

実在していると思うのであれば、それは不如理作意である。

どうしてか?

勝義諦(paramattha-dhamma究極真実法)から言えば、名と色だけが

あり、男性、女性、金、銀などなどはないのである。故に、もし男性、

女性、金、銀などなどに注意が向くならば、それは無知の下で、

世間的な方式で物事を判断している、不如理作意である。

(+ )訳者。(つづく)

訳者コメント:上記、セヤドーの解説(註疏)は非常に重要で

あると思い、下線を引いておきました。<妄念がない時、人は

自由である>という仏陀の発見の偉大さに、心底感服する。

(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)

中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)