一、その他の対象への作意
経の中で、仏陀は引き続き開示して、言う:
「諸比丘、当比丘注意(作意)某種対象時、由於該対象的縁故、
比丘心中生起与貪、瞋、痴相関的邪悪念頭。這時、他応当注意与
善法相関的其他対象。当他将注意力転移到与善法相関的其他
対象時、他就能払除心中的一切貪、瞋、痴悪念、使悪念止息下去。
由於払除了悪念、他的心得以向内穏定、平静、専注、一心。
就好像善巧的木匠或木匠的徒弟、能用細的木釘将粗的木釘打掉、
移除、取出。同様地、当比丘注意(作意)与善法相関的其他対象時、
他的心就能向内穏定、平静、専注、一心。」
上述の経に対する、註疏の解釈は以下の通り:
「与貪相関」とは貪欲と相応する事。我々は貪、瞋、痴と相関する
三種類の妄念の起源(khetta田)及び対象について必ず理解を
得なければならない。
貪と相関する妄念の起源は、貪欲に相応するは八種類の心。
瞋と相関する妄念の起源は、瞋恚・怨恨に相応する二種類の心。
痴と相関する妄念の起源は、十二種類のすべての不善心。
この三種類の妄念はすべて、有情の衆生及び無生命物を対象としている。
というのも、これらの妄念の生起は、有情の衆生と無生命物が好きで
あるか、または嫌いであるかによって造り出されているからである。
偏見は、無知の下で、世間的な方式で物事を判断し、不如理作意
(迷いと惑いの注意力)によって対象に執着する事を通して(+生起する)。
「不如理作意によって対象に執着する」とはどういう事か?
もし(+あなたが)男性がいる、女性がいる、金・銀などなどが
実在していると思うのであれば、それは不如理作意である。
どうしてか?
勝義諦(paramattha-dhamma究極真実法)から言えば、名と色だけが
あり、男性、女性、金、銀などなどはないのである。故に、もし男性、
女性、金、銀などなどに注意が向くならば、それは無知の下で、
世間的な方式で物事を判断している、不如理作意である。
(+ )訳者。(つづく)
訳者コメント:上記、セヤドーの解説(註疏)は非常に重要で
あると思い、下線を引いておきました。<妄念がない時、人は
自由である>という仏陀の発見の偉大さに、心底感服する。
(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)
中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)