《清浄道論》に基づくこれらの教えは、なんらのジャーナも具備しないまま、直接観禅の修行をしたい人は、先に簡略法または詳細法、または簡略法と詳細法の二つともを採用して、四大を識別しなければならない、という。
すでに、ある種のジャーナを証悟した人、またはすべての八種類の定を証悟した人で、もし、色業処から観禅の修行を始めたいと思うならば、彼もまた、同様の順序で修行しなければならない。
色業処と名業処については、《中部》の注釈の中及び《阿毘達摩論》の注釈の、第二冊の中に、以下のような説明がある:
「この二種類の中で、色業処とは、簡略法または詳細法でもって、四大を識別するものである。」
注釈の中で(+書かれいる)、如何にして、観禅における色業処の修行を行うかに関して述べられているこれらの指導内容から、仏陀が、純観行者または先に色業処を修行したい止行者は、先に簡略法または詳細法によって、四大の識別から始めるべきだ、という指導をしたことが分かる。
もし、禅の修行者が仏陀の教えに基づいて修行するならば、彼の修行は、最も大きな利益を齎すことになる。
ここで我々は、注釈は、決して、覚音論師(=ブッダゴーシャ)によって書かれたものではない、という事を理解しておく必要がある。
彼はただ、(+以前からあった)注釈を、シンハラ語からパーリ語に書き換えたに過ぎない。
いくつかの注釈は、疑いもなく後代の論師が作成したものだが、しかし、注釈の大部分は、仏陀の時代から伝承されてきたものである。
仏陀の時代、普通に見られた光景とは:
簡単な開示を聞いた後、何人かの比丘は、いまだその意味を理解できない。それで、彼らは、仏陀、またはシャーリプトラ、モッガラーナなどの阿羅漢、またはアーナンダ尊者等に会いに行き、彼らに詳細な説明をしてくれるよう求めた。
これらの説明・解釈は、500人の阿羅漢が参与した第一次結集の中で、雑蔵(Pakiṇṇaka Desana)として結集された。これはまた、根本注釈(Mūla-Aṭṭhakathā)とも呼ばれる。
スリランカでの布教を担当したマヒンダ阿羅漢(arahant Mahinda)は、それらをスリランカに持ち込んだ。彼は、後代の者が、パーリ語でこれらの注釈を保存することはできないだろうと考え、故に、それらをシンハラ語に翻訳し、それを大注釈(Mahā-Aṭṭhakathā)と称した。
覚音論師の時代になって、ある種の人々は、パーリ語の原文でもって仏陀の教法を研究するべきだという主張を展開し、故に、覚音論師は、すべての注釈をパーリ語に戻す翻訳をしたのである。
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(問2-7、つづく)
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<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」1999年中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>