Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

「修心与神通」(翻訳文)-12

11、出定とは何か?

いわゆる「出定する」とは、どのような原因で、我々は定に入ることができないのか?という問題を意味している。

我々が、定に住む(=定に留まる)状況の中で、まったくどのような分別・思想も生起しないのならば、非常に快適で、軽やかで、風に漂う感覚があるが、しかし、忽然として一念が来て、定の境地を破壊してしまう。

この、突然の一念は、どこから来るのか?

どうしてこのような<思い>がやってくるのか?

己自身では、探しても探しても、その原因が見つからないし、キツネにつままれたような気がする。

どうしてか?

この一念は、「作意思惟」と言い、五遍行の中では作意、と言う。

それは、あなたの思想(=物思い)を誘発し、あなたの行為全体をけん引する。その力は非常に大きく、八識に遍なく及ぶ。

基本的に、仏陀は我々に、五種類の原因を教えている:

(1)随所作因:日常生活の中で、我々は、仕事をし、人と話をする。接触する現象が異なるため、当然、植えた因も異なる。ゆえに、(=その種の因によっては)定の果を得られるとは限らず、定に入りたくても入れない(+状況が生まれる)。それは、心身に煩悩があるかの如くで、定を保つことができない。

その上、累劫の業障も取り除いていないし、今世でもまた、善を行って福徳を増やそうとはしない。

これでは、どうやって、定に入ろう、というのか?

(2)定所作因:定の方法と目的が間違っているため、どのように努力しても定に入れない。

たとえば、座禅で風邪を治そうと思ったり、開運して大金を儲けようとしたりしたとき、この種の動機、観念は、定の因であると言える。

これは、微細な違いではあるが、生起する潜在的効果、阻害力は、非常に大きく、あなたが定に入っている最中、出現するべき時が来ると、突然出現して、あなたを悩ませる。

(3)期所作因:内心に欲求があり、望みがあり、得たいものがある時、潜在意識の中に、それが生起する因を植えた、という事、これが主な原因である。

たとえば、座禅・瞑想を学び始めたばかりの時、ある種の法師は、すぐにあなたに座禅・瞑想は、あなたの身体を健康で長寿にする、等と言う。

そうすると、下意識の中に、毎回、坐禅・瞑想さえすれば、この色身は、絶対に長寿であり壮健であると、思いなす。または、天眼通を得たいとさえ思い、または、幻想の中で、寛いでみたりする。

これらは皆、己自身で「立法相(法相を立てる)」して、その後に「取法相(法相を取る)」をしている訳である。

これで、どうやって定を得ることができるというのか?

因地が異なれば、果も異なるのである。

(4)諸所作業:たとえば、定の中で、忽然として一念が浮かぶ。

何かし忘れた事柄、子供の学費の支払い等々、突然、思い出すのである。

その後に、この一念は、思い出さなくてもよい事柄であるとして後悔し、座ったまま、その場であれこれ考え、あれを糺し、これを糺し・・・、これは出定相といい、定の境地を破壊する。

また、飲食が便利であるようにとか、指導者・先輩に言いつけられたことをどのように処理しようかと思い煩い、突然往時の出来事、いまだ来ない未来の出来事を思い出す。

これらは皆、あなたに定を得られなくするか、または出定の原因になるものである。

(5)先立期契:これは色身が七識を破って(=超越して)いながために、行蘊の物理的影響を受けることで、たとえば、固定的な周期性を持つ心の念の如くで、業力の作用によって、ある時間が来ると、眠ってはいても、目覚まし時計がなくても目が覚める(+様なものである)。

以上、これらは、定に入れなくする、いくつかの原因である。

もし、先にこれらについて、しっかり理解ができていれば、坐禅・瞑想の時、意識の内に、先にこれらのいくつかの思いを手放しておけば、当然、心理的な障礙は、減少する。

このようであれば、比較的容易に定に入ることができる。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(つづく)

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<陳居士「修心与神通」中国語→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>