南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-208

問6-13:

初果ソータパナを証悟した聖者は、結婚して子供を産んだりしますか?

答6-13:

はい。

例えば、毘舎去、給孤独長者等、仏陀の時代、Kosala の国には7000万人の人口があったが、その中の500万人は聖者を証していたものの、

彼らの大部分は妻をめとっていた。

問6-14:

慈心観の修行を成就すると11種類の利益があります。しかし、ある人が、慈心観を修行しても、慈心禅を証することができない時、それでも彼には利益がありますか?

答6-14:

はい(+それはありえる)。

《清浄道論》の中に、一つの物語が語られている:一頭の母牛が、子牛に授乳している最中、狩人が彼女に槍を突き刺したが、槍は彼女の体に入り込むことはなかった、という。

この時、彼女が持っていたのは普通の慈愛にすぎない。

もし、あなたが慈心観を修行して、慈心禅に到達することができないとしても、慈心観を修行した善業は、今生の人間社会の中で善報として結実するし、来世の天界において、果報になる。

問6-15:

《アビダンマ論Abhidhammattha Saṅgaha》

では、ただ四梵住(brahmavihāra)を修するだけでは、何等の道も果も証することができないといいます。

このことについて、禅師、ご説明下さい。

答6-15:それは、四梵住は、ジャーナを生じさせるだけであるからである:

慈梵住を修行すると第三禅に到達することができる。悲梵住、喜梵住の修行もまた、第三禅に到達することができる。捨梵住は、第四禅しか証しえない。

人がただ、これらのジャーナを修するだけで、観禅を修しないのであれば、彼らは涅槃を証悟することはできない。死後、彼らは、梵天界に生まれることになる。観禅のみが、人をして、涅槃を証悟させ、涅槃を知見させることができる。

もし彼らが、四梵住のジャーナを基礎にして、名・色及びそれらの因を照見することができ、

かつ、名色及びそれらの無常・苦・無我を照見することができるならば、彼らは涅槃に到達し、涅槃を知見し、涅槃を証悟することができる。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(つづく)

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<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」1999年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>