Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳『親知実見』Knowing and Seeing#39-1

問答(五)

問5-1:八定(samāpatti)は、禅修行者を支えて、名色限定智(Nāmarūpapariccheda-ñāṇa)に到達せしめ、(そうなれば、修行者は)名色の微妙な生・滅を見る事ができ、その事によって、これらの名色を厭い離れ、道智を証悟するに至ります。この事以外に、八定には、その他の利益が齎される事は、ありますか?

答5-1:禅定には、五種類の利益がある;<注288>

禅定の、一番目の利益は、現法楽住(diṭṭhadhammasukha-vihāra)である:今生において、ジャーナの楽を享受する。これは阿羅漢の事である。純観阿羅漢は、自ずと、出世間ジャーナ(lokuttāra-jhāna)を擁するが、しかし、彼らは世間ジャーナ(lokiya-jhāna)をも育成したいと願うかもしれない、というのも、彼らは、ジャーナにおける、現法楽住を享受したいと思うが故に。彼らは阿羅漢である為、すでに、道智を通して一切の煩悩を断じ除いているが(その意味は、すなわち、諸々の蓋はすでに断じ除かれている)、それゆえに、ジャーナを育成する事は、彼らにとって、非常に簡単な事である。彼らが、通常、ジャーナを育成したいと思う、もう一つの理由は、滅定(nirodhānisaṃsa)を成就したい為である。このこと(を成就するに)は、八定に精通しなければならない。

比庫(南伝の男性出家者bhikkhu)の義務は、教理(pariyatti)を学び、止観を修習し(paṭipatti)、四道四果を証悟する事(paṭivedha)である。阿羅漢は、すでに、この義務を完成させており、故に、必ずしなければならない、何らかの仕事、というものはない。彼らが禅定を修習するのは、外でもなく、唯一、今生において、禅定の楽(jhānasukha)を享受する為である。

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>