翻訳『親知実見』#39-2
禅定の、二番目の利益は、観の修習(vipassanānisaṃsa)である。<注289>。
禅定は、観智の助縁である。
というのも、ジャーナを擁すれば、禅修行者は、明晰に、究極名色法及びその因を照見することができるし、また、それらの無常・苦・無我の本質を観照することができる。
禅修行者が、徹底的に観の修習を実践する時、特に、
道智(magga-ñāṇa)、
果智(phala-ñāṇa)、または
行捨智(Saṅkhārupekkhā-ñāṇa)に到達した時、ジャーナは、通常は、非常に安定しており、それらは、観智をして明晰、明瞭かつ、強くて力のあるものにならしめ、また、その強くて力のある観智は、相互作用の効果を発揮して、ジャーナを保護する事ができる為に、(ジャーナが)退失することがない。
また、禅修行者が、長時間、観の修習を実践する時、疲労を感じる時がある。
この時、彼は、長時間、ジャーナに入り、心を休息させなければならない。心が力を復活させた後、彼は、再び、観の修習に戻る。
疲労が生じた時、彼は、再度、ジャーナに入り、休息することができる(休息するのがよい)。<注290>