次に、比丘たちよ。
私が『これは苦の滅に至る道聖諦である』と思惟する時、以前に聞いたことのなかったこの法に関して、私の心中に眼が生じ(cakkhuṁ udapādi)、智が生じ(ñāṇaṁ udapādi)、慧が生じ(paññā udapādi)、明が生じ(vijjā udapādi)、光が生じた(āloko udapādi)。
比丘たちよ。
私が『この苦の滅に至る道聖諦は修行されなければならない』と思惟する時、以前に聞いたことがなかったこの法に関して、私の心中に眼が生じ、智が生じ、慧が生じ、明が生じ、光が生じた。
比丘たちよ。
私が『この苦の滅に至る道聖諦はすでに修行された』と思惟する時、以前に聞いたことのなかったこの法に関して、私の心中に眼が生じ、智が生じ、慧が生じ、明が生じ、光が生じた。
比丘たちよ。
私がこの、三転12相の四聖諦の如実知見に関して、十分に明晰でない時、私は諸天、魔と梵天、沙門たちと婆羅門、諸天と人間を擁する世間に向かって、無上の円満正覚を証悟したと宣揚することはしない。
しかし、比丘たちよ。
私がこの、三転12相の四聖諦の如実知見に関して、完全に明晰になった時、私は諸天、魔と梵天、沙門たちと婆羅門、諸天と人間を擁する世間に向かって、無上の円満正覚を証悟したと宣揚する。知見は私の心中に生起し、私は知った:私の解脱は揺ぎないもので、これは私の最後の一生であり、私はもはや、未来において生まれ変わる事はない。」
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(3-4につづく)
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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>