「修行を重ねた老僧の前に行くと、自分の心が見透かされるみたいで、ちょっと怖い」な~~んて話、以前はよく聞いたものです(現代の僧侶はどうでしょうか?)
以前、台湾で聞いた話。
台北にある会社の社長さん、社長ですから社用車を持っていて、専属のお抱え運転手もいます。
この社長さん、台湾中部(台中)にある某寺院の住職さんと懇意で、時々法話を聞きに行きます。
ある日、急に法話を聞きたくなったこの社長さん、運転手に「もう夕方だけれど、これから台中に行く。今日は残業だ」と、車の運転を命じました。
運転手さん「アッレッー、嫌だなぁ、残業なんて。早く家に帰って、家族と食事がしたいよ~」
それでも社長命令です、しぶしぶ車を出しました。
台中の寺院に到着して、社長は住職さんと何やら話し込んでいます。
運転手さん、社長の傍にいて、手持ち無沙汰。
心の中で悪態をつきます「このクソ坊主め、何か訳のわからんことを、グチャグチャ言っとるなぁーー、早く話が終わらんかなぁ。」
すると住職さん「ちょっと、そこの運転手さん!うるさいよ!!黙ってなさい!!!」と言ったそうです。
運転手さん恐れ入って、はい、速攻で、在家の弟子になりました(笑)。
この住職さんは他心通があるのでしょうね(台中大地震を予知したことで、有名になりました)。
この住職さんのような他心通がなくても、修行を積んだ人は、他人の心の動揺、嫉妬心(心の波動の粗い部分)などは、知ることができます。
心を読まれる人より、読む人になりたいですね。