同様に、もし、その他の諸根、たとえば、定根、慧根が強すぎる時、よくない影響が起こる。
どれか一つの根が強すぎる時、その他の根が、各自の任務を遂行できなくなる事を、(+修行者は)知っておくべきである。
そして、信根と慧根、定根と精進根のバランスは、諸々の聖者が讃嘆するものである。
もし、信が強く慧が弱い時、迷信になりやすい。こういう人は、真実の利益に欠けた、または内容のない対象を信じ、崇拝したりする。
彼らは、正統な仏教以外の宗教が信仰、尊敬する対象、たとえば、護法の神などを、信仰する。
反対に、もし、慧が強くて信が弱い時、人は狡猾になり易い;自分自身は実際に修行をしないのに、一日中、批判や論評をするようになる。
彼らは、薬を飲み過ぎて(+副作用で)病気になったようで、治療するのは困難である。
彼は思う:「想像さえすれば良いのであって、実際に布施をする必要はない。それでも布施の善業は、得られる。」と。
彼は己の狡猾さと、業報の法則への誤解ゆえに、その被害者となる。
彼は智者の言葉を理解できないし、真理を理解することもできない。
故に、(+彼らは)薬を飲み過ぎて(+副作用で)病気になったようで、治療するのは困難である、と言われる。
信根と慧根の二者をバランスする事を通して、人々は、真実と、内容のある事柄だけを信じるようになる。
そして、信と慧がバランスすると、信じるべき事柄を信じることができる様になる。
彼は三宝を信じ、業報の法則を信じ、もし、仏陀の教法に従って安般念を修行するならば、彼は、安般念似相を体験して、ジャーナに到達できることを確信する。
もし、このような信心(=確信)を持って修行し、かつ智慧を運用して似相を見通す(=透視する)ならば、この時、信根と慧根は、バランスすることができる。
(+ )(= )訳者。句読点原文ママ。(5-48につづく)
Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu。
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<パオ・セヤドー講述「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>