<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
二、(個人的な)特別な業処
特別な業処を適切な形で与えるためには、教師は学生の主要な性質(性格)を決定しなければならない。これは非常に困難な作業である。
というのも、大部分の学生は、己自身を理解しておらず、良師は、あなたよりあなたを、より理解しているであろうから(意味反転?ママ)。
一人一人の性格は、深浅の異なる多重的な構造を擁しているため、教師は時間をかけて、学生を観察しなければならない。
(後、第四章にて詳細説明する)。
このことから、あなたは、これらの業処を与えてくれる善友と親しみ、彼に対して大・小の、また、各種の義務を履行し、業処を学ぶ(+のがよい)。
《清浄道論・第三章・第65段》
◆結論
(一)止禅の段階においては、良師は、学生に二つの方面における業処を与える:
1、普遍的に適用される業処(一切処業処)。
2、(個人的な)特別な業処(応用業処)。
(二)普遍的な適用業処とは、一切処(=一切の場面)において、必要とされる業処。
(三)特別業処とは、40種類の業処の中の、人それぞれの個別の性格に適合する業処。
(3-16につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>まで。ご協力、よろしくお願いいたします。
<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>