パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)5-77
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
8-8 初禅
あなたがこのようにして、ジャーナに到達したならば、あなたの心は、まったく中断することなく、安般念似相を覚知することができる。
この状態は、何時間も、または一晩も、一日中でも持続することができる。どのようなジャーナであっても、二つの方面からの育成によって、証悟することができる:
一つは、その不善法を取り除く事で、もう一つはその法の構成を、獲得することである。
前者を「捨離支」といい、後者を「具備支」という。初禅でいえば、「捨離支」は五蓋であり、「具備支」は五禅支である。
この二者は、初禅の標準的な形容法として、言及される:
「完全に欲楽から遠離し、完全に不善法から遠離し、比丘は、尋・伺・喜と寂静生楽の初禅に安住する。」
この標準的な形容法の最初の段落、「完全に欲楽から遠離し、完全に不善法から遠離し」という部分は、五蓋を取り除く事を指している。
当該のジャーナに含まれる法の第二の部分は、「具備支」の説明である。
(5-78につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点原文ママ。★誤字脱字を発見された方は
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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>