南伝仏教のDhamma book

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パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」5-130

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

8.11.3 一支を捨離する:二支の具備

ここにおいて、捨離の一支は、「悦」(somanasa)、すなわち、心の楽受を捨離する事であるのを理解しなければならない。

実際、同一の一個のジャーナ心路過程の前の速行において、それはすなわち、第四禅の近行定の時であるが、悦はすでに捨棄されている。故に、これを捨離支と言う。

二支を具備するというのは、捨受(=受の捨)と一境性の二者が生起する事をいうのを理解しなければならない。

これはジャーナ四分法(catukkajjhāna)の教法と言う。

8.12 ジャーナ五分法(pañcakajjhāna)

諸々の經は、ジャーナを四種類に分類する。しかし、アビダンマ蔵では、二種類の方法でジャーナを指導するーー人々の知熟する經教四分法と、五分法である。

尋と伺の捨離を分け、同時にそれらを捨離しないため、ジャーナ四分法は、五分法に変化する。

ジャーナ五分法の中において、ジャーナを構成する五種類の禅支は以下の通りである:

1、初禅:尋・伺・喜・楽・一境性。

2、第二禅:伺・喜・楽・一境性。

3、第三禅:喜・楽・一境性。

4、第四禅:楽・一境性。

5、第五禅:不苦不楽受(捨受)、一境性。

五分法に基づくと、初禅を証得した後、引き続き、比較的高レベルのジャーナを証得したいと思う禅修行者は、その禅支を省察する時、尋が粗くて劣である事を発見する。

そして、替えは尋を断じ除こうと尽力し、結果、無尋を証得するが、しかし(+これは)伺と相応する第二禅である。

五分法の第二禅は、四分法には見られないものである。

第二禅を掌握したならば、禅修行者は伺が粗いのを発見し、それを断じ除いたならば、四分法の第二禅と同等の[五分法の]第三禅を証得した事になる。

五分法の第四禅と第五禅は、それぞれ、四分法の第三禅と第四禅と同等である。

この二種類の異なる分類方法は、心一境性の能力に差異のある禅修行者に合わせるために存在する。

この能力の差異は、彼らの、尋と伺を同時に観察する能力の違いであり、または彼らが、同時に尋と伺を捨離する能力の違いを言うのである。

四分法に基づいて修行する禅修行者の進展は比較的速い。というのも、同一の場所から、上に移動する時に、二支を捨離するからである。

しかしながら、二者は、共に、同じ範囲の精神的体験を経験し、最後には、己自身の分法によって、同一の目的地に到達するのである。

ジャーナ五分法が、最初にアビダンマ蔵に出現した後、「論教法」としての特徴を持つ様になった。この様ではあるが、この分法は、諸々の經に明確な根拠を持つものである。

諸々の經は、常々四禅を言うものの、しかし、それらは定を三種類に分けている:有尋有伺の定、無尋有伺の定、無尋無伺の定である。

(《長部》)。

仏陀は聴衆の願望に基づき、または教法の優美さをもって、二種類のジャーナ分法を教導した。

仏陀が天界において、アビダンマを開示した時、ある種の聴衆が禅支を省察する時、ただ尋が鮮明で、粗くて劣であり、伺は寧静であった。

彼らの願望に沿って、仏陀は四個の禅支を教導したが、それが無尋の第二禅であった。

仏陀はすでに、各種の法界を明晰に透視していた為、彼は教法において、優美さを擁していた。

その円満なる智慧によって、彼は教法において、善くした。

こうしたことから、彼は己自身の願望に従って、異なる分法を教導したのである。この分法の中において、初禅は五支、第二禅は四支、第三禅は三支、第四禅は二支あり、第五禅もまた二支ある。

(5-131につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijubunko.sakura.ne.jp/index.html

<中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>