<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
1951年1月、アチャン・マハブーワは、一群の頭陀僧を連れて、磐山から遊行しながら下りて来て、卉晒村北部の山の麓にある、緑濃い森林の中に、足を止めた。
各自各々は、頭陀僧の伝統に従って、淡泊な修行生活を送るために、木の下、山の洞穴、頂、がけの下などに、遊行用の傘を掛けて、住まいとした。
アチャン・マハブーワと、彼の侍者として、一人の沙弥、サマーネンが、同じノックアン洞に住んだ。
ノックアン洞は、山頂の地勢が平になった所の片側にあり、村から一マイルほどの距離であった。
それは長方形の、幅がある広い洞で、突出した一つの崖の、傍にあった。
入口には、平らな石が敷き詰められていて、外に向かって伸びていた。
ここは、空気の流れが良く、涼しく、環境全体は、幽玄で静かであった。
アチャン・マハブーワの到来を知って、メーチ・ケーウは幾人かの尼僧と共に、くねくねと曲がった坂を登って、彼に会いに行った。
その高地の頂は、地面から露出した黒岩石でできており、波状の地勢は、洞の入口まで伸びていた。
到着して、メーチ・ケーウが、アチャン・マハブーワが洞の出入口にある、平坦な大きな石の上に座っているのを見るや否や、彼女の心は喜びに溢れ、振り返って嬉しそうに、低い声で言った:
”彼よ!私があなた方に教えた、あの大禅師よ!”
彼女たちは、心身を摂め、恭しくアチャン・マハブーワの元に歩み寄り、彼の前で跪いて、重々しく、三拝した。
お互いに挨拶した後、メーチ・ケーウは、随分前、彼女が子供だった頃に、アチャン・マンに会ったことがあり、アチャン・マンがどのように禅の修行を指導したか、また、彼がここを離れる時に、どのように、彼女の修行を禁止したのか、を述懐し、また、アチャン・マンに対する尊敬から、彼女は長年禅の修行をしておらず、出家して後、改めて真剣に努力しているのだ、と伝えた。
アチャン・マンの近しい弟子として、アチャン・マハブーワは困惑を感じた。
どうして、彼女の修行を、禁止する必要があったのだろうか?
メーチ・ケーウが色々な禅相について話すのを聞いた時、彼はすぐに、原因を察した。
この時、メーチ・ケーウは、各種の神秘的な境界に深々と沈潜して、早10年が経っていた。
彼女は、禅相が見えなければ、それは修行ではないと思っていて、彼女はこの境界の中に惑溺し、この方向こそが、涅槃であり、煩悩から解脱する正道だ、と信じていた。
(5-7につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>