「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-21
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
今、アチャン・マハブーワが、いきなり介入して来て、その一切を変えた。
彼女の意識は中心に集まり、心性と合一し、完全に、純潔な覚知の微妙な本性と一体化し、その全体が、甚だ深い寂静の中に、息づいた。
この時、身体の意識は消失し、唯一残されたものは、微細で描写のできない覚知だけであり、動静がなく、最も微細な意識波さえも、なかった。
彼女の心は、定の境に何時間も浸り続けた後、ようやく揺れ動いて、この中心から出ようとした。
一つの短い意識のさざ波が生起し、次には、即刻消失した。
このさざ波は自然に発生するもので、わざと発生せしめた訳ではなかった。
一つの微細な波動が生起して、またすぐに静まった。意識の波動は、何度も何度も、現れては、また消え、そうする内に頻度が増え、意識流は、最終的には、通常の動態に戻った。
彼女は、外部の環境を覚知する意識を回復したが、しかし、心の概念思惟の機能は、未だ、静止の状態にあった。
能知(=知るもの)の核心は依然として、心の通常の思考様式を制圧しており、意識は、自在に運用される知覚流の中に、浮いていた。
自在に運用できる状態にあるため、無礙なる覚知と、明確な洞察力は、同時に運行され、彼女をして、深い直観からの内観によって、己自身の心身の何であるかを、理解せしめた。
彼女は本能的に、観の修習において、徹底的な内観による般若を証得する為には、このレベルの注意力を、保持しなければならない事を、知っていた。
この時、更に微細な知覚の作用によって、慣性的・習慣的な思惟様式の障礙を受けることなく、直観を通して、深くて微細で、作り物でない知識を、獲得することができる。
このようであるから、この正常な意識流の中において初めて、智慧は効果的に運行する事ができるのである。
(5-22につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>