<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
今日、世界の人口は、どんどん増えている。
そして、人は、前代未聞の裕福な生活をしている。
しかし心内は、却って空虚に感じられる。
その為、徐々に、四聖諦と中道法を学ぶ人が、増えて来ている。
釈迦牟尼仏は、45年の間、弘法に励んだが、彼はただ一つの事だけを教えた。それは:
「苦と苦の止息」である。
仏陀は「宇宙に果てがあるかないか」などという、ある種、哲学者が精力を尽くして研究したがる問題に、興味がなかった。
とは言え、彼は、宇宙全体の器としての器世間は色法であり、その中に生まれる有情は、心法と色法(名色または五蘊)であると、明確に指摘した。
仏陀が体験し、証悟した教えの中では、永恒の自我もないし、上帝(=神)が創造した霊魂、または人間の霊魂もなかった。
実際の所、仏法の修行をば、簡単に要約すれば、心身を、不断に変化する事物として、観察(明覚)する、ということだけである。
2000年来、多くの、心身の観照を通して得た所の結果は、すでに大量の専門的知識として、蓄積されている。(近代的西洋国家の「夢」に対する、ある種の研究の成果は、遠く2000年前には、すでに仏教徒によって知られていたのである)。
(1-4につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>