南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

「身念処」2-16

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

修行者は、以下のレベルの「如理作意」を、実践しなければならない:

食べる、飲む、沐浴する、または厠、食器洗い、洗濯などなどの日常的な活動において、たとえば、食べる時、物を食べるのは、ただ苦を治するためだけ、であると観照する。

咀嚼する時、一口毎に注意を払い、一刻一刻、食べ物を飲み込む時の感受に注意を払い、飢餓が徐々に解除される感受にも、注意を払わねばならない。

食べ物を咀嚼する時、あなたは、その一口、一口は皆、苦を治する為である事に、注意する必要がある。

このようにすれば、あなたは、飢餓の苦が迫って、あなたをして咀嚼させ、飲み込ませているーー享楽の為に食べているのではない、という事を体験する事ができる。

朝、目が覚めた時、横になっている色身に注意を払う。起き上がる時は、原因(「如理作意」)に注意を払うーー飢餓の為に、何かを食べたいとか、他人を起したいとか、ただこれ以上寝ていられないから・・・等々、横になっている色身が、起き上がらざるを得ないのは、これ以上寝ていられないからであり、横になっている色身は、すでに苦痛を感じているが故に、起き上がらざるを得ないのである。

もし、顔を洗う為に起き上がったとしても、やはり、苦を治する為なのである。

しっかりと「如理作意」をもって観照し続けるならば、煩悩は、我々の覚受(=感受)を支配することはできなくなる。

「如理作意」は、我々をして、色身は、運用されるが(=動作が展開されるが)、それは「私」ではない事を、知らせてくれる。

(2-17につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>