<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
13、種姓智(行道智見清浄)
この智は、道智(第14階智)に向かう道刹那によって誘発される所の智慧であり、また、この智の、前の段階の、その他の階智と異なる所は、この智は、涅槃を所縁としている事(出世間)である。
しかし、心は、なお、世間に属する。
これ以降、二度と、身・心を所縁とする事はないが、しかし、この智は、なお出世間には、完全には到達していない。一つ前の階智の心と所縁は、みな世間に属する。
この階智においては、心の智慧は修行者をして、凡夫から聖人へと変化せしめる。これは、生死輪廻の中で、心が初めて、涅槃を所縁としたもので、涅槃を所縁としてはいるものの、しかし、この智慧では、完全に惑を断つことは、できない。
アチャン・ネンは、この智は、ちょうど何かの仕事を始めたばかりの人のようで、彼は自分の仕事に対して、完全には、習熟していないのである、と言うーーこれが、この智が、なぜ、惑を完全に断じきれないのか、という理由である。
(3-15につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>