南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

「身念処」4-3

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

冷淡さ(捨)は、中道ではない。

ある種の人々は、己の心をして、愛も憎悪もないようにしたいと思っているが、それは間違いである。

このようにすると、「捨念」が生起する;

一切の法は無我(コントロールできない)のであり、故にこのような修行は、良くないのである。

ある種の修法は、心は空であるから、空を所縁にしようとするが、しかし、一つひとつの心は、所縁を有しており、この所縁は、心が生起する為の助縁である。たとえ出世間心であっても、涅槃を所縁としているのである。

多くの心、及び所縁は、好きとか、嫌いとかを誘発するが、四念処の所縁は、好きであるとか嫌いであるとかを、断じ除くことができる。

しかし、四念処の所縁もまた煩悩に至る事がある;

たとえば、あなたは、心をば、座る色身に安住させようとするが、これは貪(好き)を生じせしめる。

もし、あなたがそれを達成できない時(こういう事は非常に生じやすいーーというのも、心は無常であるから)、あなたは瞋恚(嫌い)を生じせしめる。

四念処に関して言えば、最も重要なのは、正念を具足することーー正知である。

ただ、<今・ここ>を保持する事によってのみ、貪と瞋恚を断じ除くことができる。

一つの所縁が出現した時、修行者は、この所縁の実相(自然的な真実の状態)を理解・了解できるまで、この所縁を観照しなければならない。

この所縁は、色法でなければ、心法である。

このようであれば、修行者は、身・心の無常・苦・無我ーー非「私」、非自我を体験・体得することができる。

(4-4につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>