FDC資料「37道品ハンドブック」3-4 Ledī Sayādaw著
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
(以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です)
Soṇa尊者の努力の様子は、雨安居の三か月の中で、座ったまま横にならず、気を付けて眠らず、坐禅と、歩く瞑想をしたことである;
護眼尊者の努力の様子も、ほぼ、上記と同じである。
Phussadeva尊者(《戒蘊品注疏》)もまた、同じような努力と奮闘により、25年の時間をかけて「道」と「果」を証悟した。
Mahāsiva<《長部》(帝釈天問経)>の例でも、30年の努力をしたと書かれている。
今の時代、特にこの種の「正勤」の努力、模範が要求される。
精進に勇敢な行者は、十分な経(+への理解)と教えの基礎に欠けており、また経と教えの基礎がある行者は、往々にして、比丘の俗事に煩わされる弊害の中にある。
たとえば、彼らは村に住んでいるとすると、法を論じたり、開示したり、著書を出版したりしなければならない。
これらの修行者は、まったく100%分断する事のない時間でもって「正勤」するのは難しいのである。
ある種の人々は言う:
彼らのハラミツが熟した時、その時期がきたならば、彼らは世間の痛苦から簡単に抜け出して解脱することができる、と。
そのような考えのために、彼らはこの種の努力が解脱への道かどうかを確定する事ができず、故に、諸々の努力を払おうとしない。
彼らは、30年間の努力によって生じる痛苦と、未来に対面する痛苦、(+未来において)誰が苦しくて、誰が苦しくないか、を比較しようとはしない。
この種の未来の痛苦は、解脱を証得する前であるならば、十万年間、地獄に堕ちる話でもある。
彼らは明らかにこのようには考える事無く、30年の努力による精進が引き起す痛苦は、地獄に三時間いるよりはるかに良い事を知らないのである。
(3-5につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<「37道品ハンドブック」Ledī Sayādaw著 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>