南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

《Vipassanāハンドブック》20-3(F)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

二、苦遍知

苦遍知とは、疾病、痛苦の固有な特性に対して、完璧で、必要な知識を言う。

苦はまた、二種類に分類することができる;

1、受苦(vedayita-dukkha):

痛苦を感じる苦受。

2、怖畏苦(bhayattha-dukkha):

恐怖によって生起する苦。

(一)、受苦

この二者の内、受苦とは、身・心に感受する苦を言う。

身苦とは、身体の各部位から来るもので、人をして、耐え難い痛苦を齎すものを言う;

心苦とは、心が体験する所の諸々の、たとえば、憂愁(soka)、悲(parideva)、憂悩(domanassa)、絶望(upāyāsa)などの苦痛を言う。

(二)怖畏苦

怖畏苦とは怖畏智(bhaya-ñāṇa)と過患智(ādīnavañāṇa)の範囲内の苦を言うが、それは生苦(=生まれる苦)、病苦、死苦、行苦(saṅkhāra-dukkha)と変易苦(vipariṇāma-dukkha)が含まれる。

これらの苦については後に述べる。

(中略)

この世界において、いまだ<我見>を取り除いておらず、かつ悪趣に堕ちる危険に対して、畏怖を感じないならば、それはまるで重大な疾病を抱える人のようである。

福報のある人、天人と梵天の生存環境、及び彼らのその中で体験する楽しさは、豊かな食物を前にした、楽しい感覚に、よく似ているものである。死後、悪趣に往生する状況は、体調が悪い時に御馳走を無理やり食べて、重篤な病気になった人間のように、その受ける痛苦は極めて大きいものである。

ここにおいて、受苦(vedayita-dukkha)と苦受(dukkha-vedanā)は、同義であるとする。

三種類の受がある、すなわち:楽受、苦受、不苦不楽受である。怖畏苦と苦諦と苦は、同義である。それらには、三種類の明確な特色がある。

すなわち:無常・苦・無我である。

故に、苦の固有の特質について、完璧で必要不可欠な知識を有している人、天人と梵天は、彼らが体験している所の快楽に対して、同じ様に完璧な、かつ必要な知識を有しているが、これを苦遍知(dukkha-pariññā)と言う。

(20-4につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。

<《Vipassanāハンドブック》(原題 Vipassanā Dipanī)

Ledī sayādaw著 中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>