翻訳『禅修指南』(3-22)
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
もし、精進根が強すぎるなら、信、念、定、慧の諸根は、勝解、建立、不散乱と知見の作用を実行することができない。
この強すぎる精進は、心をして、似相に、静かに専注せしめることができなくさせ、七覚支の軽安、定と捨覚支もまた生起することができなくなってしまう。
その他の諸根が、過剰に強い時もまた、その後果は、(+修行者にとって)不利益を引き起こすものである。
信と慧、定と精進のバランスは、諸々の聖者が讃嘆するものである。
もし、信が強くて慧が弱い時、迷信になり易く、不適切な信仰をしたり、意義のない事柄に取り組んだりする。例えば、仏教以外の外道、護法の鬼神を信仰したり、尊敬したりする様になる。
しかしながら、慧が強すぎて信が弱い時、それは人を奸邪に向かわせる。
例えば、己自身は実際の修行と実証に欠けているのに、(+仏法について)恣意的に判断したり評価をしたりする。
それはまるで、薬を飲みすぎて、治療が困難な副作用を発症している(+患者の)様なものである。
信と慧がバランスしてこそ、信じるべき事柄を、信じる事が出来る。
その様な修行者は、三宝を信じ、業報を信じ、もし、仏陀の教法に従って修習するならば、似相を獲得して、ジャーナを証得することができる事を確信する。
もし、信心をもって修習し、智慧でもって、似相を観察するならば、その時には、信根と慧根はバランスを獲得することができる。
(3-24につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay