『涅槃証悟の唯一の道』★パオ・セヤドー著(6-15)重要必読
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
信根と慧根
入出息念の育成に成功するためには、あなたは入出息念に対して、完全なる信心(=確信。以下同様)を擁しなければならない。
また、仏陀の教えに対して、完全なる信心を擁しなければならないし、仏陀の教えに従えば、ジャーナを証得できることについて、完全なる信心を、擁さなければならない。
もし、あなたが以下の様な疑いを、堅持するならば:
”入出息をみているだけで、真正にジャーナを証得する事ができるのかどうか?”
または
”取相は白い綿の様であり、似相は透明で光り輝き、明けの明星の様である、というのは本当であるか?”
または、この時代においては、もはやジャーナを証得する事はできないのではないか、と疑うのであるならば、あなたの、この教えに対する信心は喪失して、入出息念の修習もまた、放棄してしまうであろう。
故にあなたは、禅の修習に対して、完全なる信心を擁しなければならない。
あなたは、如何なる疑問も生起させてはならない。あなたは、以下の様に信じるべきである:
”もし、正自覚者の教えに従って、系統的に、禅を修習するならば、私はジャーナを証得する事が、できるであろう” と。
信心は、強くなくてはならないが、しかし、過度に強くなりすぎてもならない。
あなたは、念を用いて、信と慧をバランスしなければならない。
過度の信は、あなたをして、無用の、または無意味な事柄を信じる様に、向かわせる事がある。
例えば、正法(saddhamma)に違反した法門、または護法の鬼神を信じる事等など。
過度の信はまた、狂喜や興奮を齎して、禅修の心を混乱させることがある。この種の興奮により、慧根は、似相を徹底的にみる事が、できなくなるのである。
過度の信は、対象に対して(+それがなんであるかを)決定する時、慧根が不明瞭、不安定になって、似相を覚知できなくなり、その為に、その他の、精進、念と定根もまた、弱くなってしまう:
(+その結果)精進は、相応する所の名法を策励したり、(+名法を)維持して、似相に対応する事ができなくなり、念は、似相への認知を建立することができなくなり、定もまた、心が他の所縁へと漂流して行くのを、止めることができなくなる。
こうしたことから、信心か過剰である時、信心は却って弱まってしまうのである。
この様な場合、あなたは念でもって、過剰な信を抑制し、それをして、慧とバランスを保てる様にしなければならない。
同時に、あなたは慧と信をバランスしなければならない。過度の慧は、狡賢さや計略を齎し、適切な修習から離れてしまう事になる。こうなれば、あなたは(+他人を)批判したり、(+他人に)恨みを抱く事に時間を費やして、修習するのを嫌がる様になるのである。
これはまるで、薬を飲みすぎて生じた副作用の様で、治療するのは、非常に困難になるのである。
信と慧のバランスが良い時、あなたは信じるべき目標:仏、法、僧、業果の法則に、確信を持つことが出来る。
あなたは、仏陀の教えに従って禅を修するならば、似相とジャーナを獲得する事ができる事を、信じるべきである。
(6-16につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。
<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著(原題「証悟涅槃的唯一之道」)
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>