<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
止を修習したい禅修行者にとって、堅固な信心(=確信)は、非常に重要である。
もし、人が「似相によって定の修習をするならば、私は必ずや、安止定を獲得することができるに違いない」と考え、その後、信根の力でもって、また似相を専注する事を通して(+修習するならば)、彼は必ずや、ジャーナを獲得することができる。
というのも、ジャーナの主要な基礎とは、すなわち専注であるが故に。
観を修習する禅修行者にとって、慧力は非常に適合する。というのも、慧力が強い時、彼は無常・苦・無我の三相を知見することができるのであるが故に。
次に、定が強くて精進が弱い時、(+もともと)定に怠惰を生じる傾向があるために、(+修行者において)怠惰の心が増長することがある。
もし、精進が強くて定が弱い時、精進には掉挙を生じる傾向があるため、心は掉挙を生じせしめる事になる。
唯一、定根と精進根のバランスが取れている時、修行者は、怠惰にも掉挙にも落ち込むことがなく、結果、安止定を証得することができるのである。
(3-24につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>