『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(6-17)
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
信は止の修習に、慧は観の修習に
ここにおいて強調したいのは、止の修習に関しては、信根が強めである事は、適切である事、というである;
観の修習に関しては、慧根が強めである必要がある。
もしあなたが、以下の様に信じるならば:
”私は入出息似相に対して定力を育成するならば、私は必ずやジャーナの到達する事ができる。”
この種の信を通して、信は定根と結合して、あなたはジャーナを成就する事ができる。というのも、ジャーナとは主に、定の基礎の上に打ち建てられるものであるが故に。
ただこの様にではあっても、世間ジャーナ(lokiyajjhāna)を証得するためには、定はまた、慧とバランスしなければならない。
観の修習に関しては、慧根が強めであることが相応しい。というのも、慧が強い時にだけ、異なった類型の名法と色法をみることができ、それらを明晰に確定し、それらの無常・苦・無我の相を、明晰に知見する事ができるからである。
こうしたことから、聖道(magga)を証悟する事、すなわち、涅槃を目標に取る所の出世間ジャーナ(likuttarajjhāna)に関しては、五根すべてが、バランスを保たねばならないのである。
(6-18につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。
<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著(原題「証悟涅槃的唯一之道」)
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>