<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
安般は、その他の業処と異なっている。その他の業処は、目を開けて遠くを見ても、それがどれほど遠くても、心は、その業処の禅相に融入する事ができる。
例えば、白遍は、どれほど遠くても、心は白色の中に融入する事ができる。
安般は、ただ鼻の前の禅相に融入することしかできない。禅相が、鼻から遠く離れていると、融入できないのである。
しかし、ひとたび融入したならば、鼻の位置や、禅相の位置は意味をなさなくなる。これは、修行者が、すでに入定したということを示している。
禅相に融入したいと思うながら、(+意念を)濃密に保持しなければならない。
濃密に保持できない修行者は、禅相への融入に成功しない。
故に、安般念の初心者は、かならず、行住坐臥において、呼吸を知ることを保持することに関して、(+その意念は)濃密でなければならない。
観禅 vipassana のレベルになると、同じく、濃密でなければ、成功しない。
アーナンダ尊者は、あの時、坐っている姿勢から、横になろうとした時、濃密な四念処のおかげで、快速に、初道初果から、四道四果に入る事ができた。
こうしたことから、初学の時に、「業処を濃密に保持する」を練習しなければならない。
そうでなければ、継続した(+効果のある)修行ができない。
(67につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。<翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>