Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳『禅修指南』3‐64

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

(三)無所有処

三番目の無色界禅は、無所有処禅である。

それは、空無辺処禅心の不存在を対象と(+して瞑想)する。

空無辺処禅心とは、識無辺処禅が縁として取った所縁である。

もし、無所有処禅を修行したいと思うならば、あなたは、識無辺処禅の欠点を思惟する;

識無辺処禅は、空無辺処禅に近く、識無辺処禅は、無所有処禅の静けさには敵わない。

識無辺処禅の欠点を見て、また、それを厭離した後、あなたは、無所有処禅の静けさの本質を、思惟する。

その後に、あなたは、空無辺処禅心の不存在に、専注する。

この種の状況においては、二種類の心がある:

空無辺処禅心(ākāsānañcāyatana jhāna citta)と、識無辺処禅心(viññanañcāyatana jhāna citta)である。

そして、一個の心識刹那(注11)の中には、二つの心が同時に存出現することができないので、空無辺処禅心が存在する時、識無辺処禅心は、存在できない。反対もまた然りである。

先ほど、識無辺処禅に入ったばかりの時の、空無辺処禅心の不存在に専注して、それを「無所有、無所有」または「不存在、不存在」と黙然する。

(+瞑想の対象に心を)投入するという心態でもって、当該の相を「無所有、無所有」と、引き続き専注する。

この様に専注するならば、あなたは、五蓋が降伏され、かつ、近行定に到達したのを、発見するであろう。

ジャーナを証得するまで、引き続き絶え間なく専注し、その後に、五自在を修行する。

これが、第三番目の無色界禅、すなわち、無所有処禅である。

(注11)心識刹那:心が生起して、消滅するまでの時間。心識刹那は極端に迅速である;一つの稲妻、または一つの瞬きの時間の内に、10億個の心識刹那が生・滅する。一個の心識刹那の中には三時がある。すなわち、心の生じる時、住むとき(=心が維持される時)、滅する時である。

(3‐65につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。

<本雅難陀尊者著 『禅修指南』Meditation Guide 第二版

中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>