翻訳『禅修指南』9-52(250/520)
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
《法所縁グループ:目標=色法》
諸々の色法の中において、法所縁グループの目標としての色法は、五浄色と16微細色である。
それらの内のどれか一つを目標とする時、もし、如理作意であれば、善速行は生起する;
もし、不如理作意であれば、不善速行は生起する。
もし、それを「色」または「眼浄色」または「無常」「苦」「無我」「不浄」と注意を向けるならば、それは如理作意である。
不如理作意が如何にして生起するのかについて、名業諸の中の説明を参考されたい。
その他の因は、以前に述べたものと同一である。
ここにおいて、不善グループの因果関係を如何にして識別するのかについて、すでに理解されたと思う。
もし、彼所縁が生起するならば、前に述べた方法によって、識別する事。
《局面》
五蘊を構成する方式に基づいて、六つのグループ(すなわち、色、声、香、味、触と法所縁グループ)の中の、善グループの一つひとつの心識刹那の因果関係を識別する。
《清浄道論》では、この様に識別する時、禅修行者は更に一歩進んで、ある種の業とその果報について、知るべきである、という。
六種類の心路過程の中の種々の果報は、一つひとつが、皆、結生身、有分心と死亡心を引き起こす、という訳ではない。ある種の果報は結生心と有分心を引き起こす業によって引き起こされる。
しかし、ある種の果報は当該の業によって引き起こされるものではいない。例えば、仏陀が遭遇した12種類の(悪)果報(異熟)である。故に、禅修行者は徹底的に、過去の五蘊を識別しなければならない。
識別する時に、もし、ある種の善業と悪業を見たならば、彼はそれらが、今世に齎す所の善報または悪報を識別し、また、それらの因果関係を識別しなければならない。
外観と更に遠くの過去と未来世に向かって
上に述べた五個の過去因と現在果を識別し、またそれらの因果関係を連貫させた後、同じ方法によって、外観を識別する。
しかしながら、外部は皆同じものであり、故に、全体としてそれらを識別する。
(+その修習に)成功した後、心を更に遠くの過去世に向かわせて、その因果を識別する。
たとえば、前二世の因と、前一世の果;
前三世の因と、前二世の果等々。
同様に、現在の因と未来の果を識別し、それらの因果関係を連貫させる。
智を更に遠くの未来世、最後の一個の未来世に向かわせて、出来る限りの因果関係を識別する。
内観する時と同じ様に、外観の時にも、過去、現在、未来の三時の因果関係を識別する。
行と明の「種子」
この様に識別する時、過去に造した所の、及び、涅槃を発願した所の「行の種子」(caraṇa)すなわち、布施、持戒と止禅の修習と、「明の種子」(vijjā)たとえば、(a)以前に四界を観照した(b)以前に名色を識別した(c)以前に行法(=名色と因果)の三相を観想した、などを識別する事に重点を置かねばならない。
これら「行」と「明」の種子は、継続的に助力(Upatthamghaka satti=助縁)と因力(Janaka satti=直接的な、引き起こせしめる力)を通して、(多くの世を)支えて来たのである。
有分について
有分とは、生命を維持する心である。それの生起は、一生の間において、名法相続流を中断させない事にある。
前に述べた通り、有分を引き起こす因は、無明、愛、取、行、業、依処、目標、触等々である。
一生のうちに最も多く生起するのは有分心である為、有分の中には多くの無間縁がある。
注意しなければならない要点として、識別されている有分心の前生心(それは一個前の心識刹那)は、その有分心の無間縁(それらは前後して生起し、間隔がない)である事である。
故に:
1、結生心は、無間縁力によって、第一有分を支援する。
2、第一有分は、第二有分を支援する。
3、前生有分は後生有分を支援する。
4、(もし有分が確定に従って生起する時)確定は、その有分を支援する。
5、もし、有分が速行に従って生起する時、第七速行(または最後の速行)はその有分を支援する。
6、もし、有分が彼所縁の後に生起する時、第二彼所縁はその有分を支援する。
それらは皆、無間縁力によって、後生有分を支援するのである。
もし、有分が再び生起したならば、前生有分は無間縁力によって後生有分を支援する。
所知遍知の体験証悟
禅修行者は、已に、徹底的に、処門に基づいて、六個のグループの名法と色法を識別した後、もし彼が以下の様に審察するならば、すなわち:
「これらの名色法は、無因(hetu、janaka、直接の因)、無縁(upatthambhaka、paccaya、助縁)によって生起するのではない。それらは、必ず因と助縁の支援の下において、生起する。これらの名色法の因と助縁とは、何であるのか?」
であるが、その時、彼は、智によって以下の事を知見する事ができる:
「それらは、無明、愛、取、行、業及び食などなどによって生起する」と。
これら名色法の種々の因(たとえば、:「無明は因、色蘊は果」等々)を識別した後、彼は以下の三項によって、過去、未来、現在の三世への疑いを断じ除く事ができる。
1、過去には因と果しかない。
2、未来においても、因と果しかない。
3、現在においても、因と果しかない。
これらの因果以外に、別に創造主がいて、創造される有情がいるという訳ではない。
有るのは、行法、すなわち、名色と因果のみである。
これを所知遍知と言い、すなわち、如実知見されるべき、観智の目標(所縁)である所の行法である。
この行法とはすなわち:
1、色法。
2、名法。
3、因。
4、果(《迷惑氷消》)。
しかしながら、(+この種の修習が成功した後にあっても)再度、徹底的にこれらの行法(すなわち、名色と因果)の相、作用(味)、現起(現象)と近因(足処)(Lakkhana、Rasa、paccupaṭṭhāna、Padaṭṭhāna)を識別しなければならない。
(10-1につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijubunko.sakura.ne.jp/index.html
<本雅難陀尊者(Ven. U Puññānanda)著 『禅修指南』Meditation Guide 第二版 中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>