<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
13.3.6 呼吸の因縁生・滅
刹那から刹那の間の生・滅を明確に見ることが出来る時、もし、あなたが因と果の二者を無常・苦・無我として観照するならば、当該の観智は「思惟智」(sammasanañāṇa)と言う。
一つひとつの心識刹那の生・滅を明確に見る事ができる時、当該の観智は「生滅智」(udayabbayañāṇa)と言う。
今、私は註釈においてみえる、生・滅の解説を紹介したいと思う。
これは安般念に関する記述であるため、註釈もまた呼吸に関係する生・滅の解説となる。
「彼は身の生起の現象の観照に安住する」
というこの経文の句は、ちょうど鉄工に使うフイゴの外箱(=ケース)の様に、フイゴに装着された吹き込み口と、適切な労力によって、空気は初めて、フイゴの中に入って行くことができる。
同様に、所生身、鼻孔と比丘の心に依存して、呼吸身は初めて、鼻孔に入る事ができる。
所生身などは、呼吸身の生起する因と縁である。
この様に観照することがすなわち、呼吸身の生起の現象の観照に安住する事、である。
註釈のこの部分は、容易に理解する事が困難かも知れない。
あなたが系統的に、呼吸に対して、四界分別観を修習する時、あなたは色聚を見ることができる。
色聚を分析した後、9種類の究極色法を見ることができる。
なぜ、この 9種類の究極色法が生起することができるのか?
もし、あなたの身体が壊滅したならば、呼吸は独自に発生することができるであろうか?
できないのである。
身体がなければ、呼吸もまたないのである。
もし、この身体を分析するならば、あなたは業生、心生、時節生と食生の、この四種類の色法を見ることができるが、これらを所生身と呼ぶ。
所生身があるが故に、呼吸身もまた初めて、生起することができる。
故に、所生身は呼吸身の生起するための一項の要素である、と言える。
また、若し、心がないのであれば、呼吸身が生起することはできない。
故に、心もまた呼吸身が生起する為の一項の要素であると言える。
一つひとつの心所依処に依存して生起する所の心は、みな、呼吸を生じることができる。
しかし、心は、相応の心所と共に生起する必要がある。
心と心所は、四つの名蘊であり、所生身と呼吸は色蘊である。
故に、合計では五蘊となる。
所生身はフイゴの外箱の様であり、鼻孔はフイゴの吹きこみ口の様であり、心は、適切な労力の様である。
所生身、鼻孔、心が生起するが故に、呼吸は生起することができる。
あなたは、この様に、生起の現象を観照しなければならない。
それらの中において、心はもっとも主要な因である。
しかし、心は所生身に依存して初めて生起することができる。
こうしたことから、所生身もまた一個の因である、と言える。
これが、呼吸における因果関係である。
しかしながら、呼吸身の因果関係を観照するだけでは足りないのであり、五蘊の因果関係もまた観照しなければならない・・・それはすなわち、過去の第一世の臨終の時に熟した所の、無明、愛、取、行及び業という、この五種類の因によって造られる所の現在世の五蘊、過去の二番目の世の臨終の時に熟した所の、五種類の因が造り出す所の、過去の第一世の五蘊を観照した後、更に過去に進んで、観照し続けなければならない。
同様に、現在世の臨終の時に熟する五種類の因が造る未来の一番目の世の五蘊を観照した後、更に未来へと観照を続けるのである。
この様に、過去、現在、未来の因果関係を、未来において、あなたが般涅槃する時間で観じ続けなければならないのである。
註釈はまた、呼吸身の壊滅の現象を解説する。
「身の壊滅の現象の観照に安住する」という、この經文の句は、フイゴの外箱が取り除かれて、吹き込み口が壊れ、または適切な労力に欠ける時、空気は進出することができない(+ことを意味する)。
同様に、所生身が壊れ、鼻孔が損壊するかまたは心が作用を停止するならば、呼吸身もまた壊滅する。
あなたは以下の様に観照しなければならない:
未来において、無明、愛、取、行及び業というこの五種類の因が無余に滅尽するが故に、未来の五蘊もまた無余に滅尽する。
この様に観照する事がすなわち、身の壊滅の現象、または因縁の滅の観照に安住する、を意味するのである。
あなたはまた、身の生起と壊滅の現象を観照しなければならない。
(6-54につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等ほぼ原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijubunko.sakura.ne.jp/index.html
<中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>