Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」10-10(304/430)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

回答三

「ここにおいて、学生よ。

男性と女性がいて、手、土くれ、こん棒または刃物で衆生を傷害するとする。

この様な行為を履行し、従事するが故に、身体が壊滅し、命終える時、彼は苦界、悪趣、堕処、地獄に生まれ変わる。

しかしながら、もし、身体が壊滅し、命終わる時に、彼が苦界、悪趣、堕処、地獄に生まれ変わらず、人間に生まれ変わったのであるならば、彼はどこに生まれようとも、病多い(+者になる)。

学生よ。

これが多病に到る道である、すなわち、手、土くれ、こん棒または刃物で、衆生を傷害する(+ことが、病多い道である)。」

私は一個の例を挙げて、不善業はどの様にして果報を生じるかを説明する:

我々の仏陀の時代、ある満月の夜、シャーリプトラ尊者が、山の上で座っていて、ある種の定境に入った。

彼はその日、頭を剃ったばかりで、彼の頭は月光の下で、燦々と輝いた。

難陀夜叉(Nanda)は、瞋心の故に、げんこつでもってシャーリプトラ尊者の頭をきつく殴った。

難陀夜叉の力は非常に強く、一拳でもって一山を打ち壊すことができた。

ただ、当該の定境の保護の下、その時、シャーリプトラ尊者は、少しの触覚を感じただけであった。

この不善業のために、難陀夜叉は、そこを離れて間もなく死亡して、地獄に生まれ変わった。

これは、仏陀衆生が己自身の内心の煩悩によって汚染されている、と説明する理由である;

難陀夜叉は、シャーリプトラ尊者を傷つけたいと思う、瞋心を押さえきれず、その為に地獄へ落ちることになった。

もし、この種の悪報を避けたいのであれば、みなは、己自身の心を抑制克己し、どの様な不善業も造(ナ)してはならないのである。

もう一つ、別の例は、プーティガッタ Theraである。

迦葉仏(Buddha Kassapa)の時代、彼は猟師、鳥を獲る人間であった。

 

 彼は多くの鳥を捉まえた。

彼は多くの鳥を宮廷に届け、残りのものの多くを売り払った。

売れ残った鳥は、それらが逃げるのを恐れて、彼はそれらの翼と足を折って、それらが飛んで逃げたり、走りさることが出来ない様にした。

彼が、この様な残酷な業を、幾千年という時間、従事していたため、身体が壊滅して命が終わる時、彼は地獄悪趣に生まれ変わり、幾百万年の長きに亘って、種々の痛苦に苦しんだ。

その後、彼は釈葉仏の時代に造(ナ)した善業によって、我々の仏陀の時代に、人として生まれた。

彼は一人の比丘に、種々の資具を供養した;

しかし、この業の力は、過去において、衆生を傷害し、惨殺した業によってもたらされた多病と短命の果報を、抑制することはできなかった。

その後、彼は出家して比丘となった。

ある日、彼は病を得て、全身に膿瘡が生じ、その上、その膿瘡は、日増しに大きくなって行き、全身の傷口は、みな膿と血が流れた。

こうして、彼の身体は汚れて、ひどい状態であって、悪臭が紛々とした。同朋の比丘は、彼を世話しきれず、彼を放ったままにした。

仏陀はこの事を知って、己自らお湯でもって、彼の身体を拭いてあげ、彼のために袈裟を洗ってあげた。

仏陀の慈悲の伴った看護に対して、プーティガッタは、心の底から、感謝し喜悦し、彼の心は、益々平静になった。

仏陀は彼のために、簡単な開示をした。

開示を聞いている最中、彼は行法の無常・苦・無我の本質を観照することができる様になった。

開示が終わると、彼は阿羅漢果を証得し、諸々の漏を解脱した。

このことから、仏陀は、諸々の比丘たちに、何度も以下の様に言った:「故に、比丘たちよ。

常に、己自身の心を以下の様に反省するべきである:

『長きに亘って、この心は、常に、貪、瞋、痴によって汚染されてきた。』

比丘たちよ。

衆生は、心によって煩悩に汚染される;

衆生は、心の清浄を通して、浄化される。」

続けて、四番目の答えを聞いて頂きたい:

(10-11につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等ほぼ原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijyubunko.sakura.ne.jp/index.html

<中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>