Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

般若の独り言~お寺の【経営】

今朝起きて、ITのニュースを見ていますと、

『墓仕舞いがお寺の経営を圧迫』という見出しで、

《都会に住んでいる家族が、田舎(実家)のお寺のお墓を片付けて、遺骨を都会の納骨堂に入れてしまう為、田舎のお寺の経営が立ちいかなくなっている》

という趣旨の事が書かれていました。

何度も言います。

お寺は【経営】するものではなく、【運営】するものです。

お寺、すなわちサンガとは、出家者集団の居住地であり、修行場所であり、ゴータマ仏陀の教えに従えば、出家の男女はみな独身でなければならず、托鉢で生活し、蓄財はご法度、乱れた異性関係は言い訳無用のサンガ追放・・・。

出家僧侶の集うお寺、すなわちサンガには、沙弥(サーマネラ)に10戒、女性出家者には 5~10戒、具足戒男性比丘には227の戒律(比丘尼は300条以上)、ことほど左様に、鉄の規律があるのです。

なぜこの様に厳しいのでしょうか?

それは、偏に、仏陀の観た正等正覚の風景を、己自身も観、悟りを得て、己自身と衆生を共に利益する為に外なりません。

何を観るのか?

ミクロの世界・・・仏教徒の修行の眼目、それは、この世の実相である所の<色聚(=素粒子)、心、心所、涅槃>を観る事以外ありません。

その為にはどうしても、金勘定、蓄財、恋愛などしておれないのです。

勿論、在家の方でも高度の悟りを得る人はいますから、出家者だけが偉い訳ではないのですが、出家した以上、ゴータマ仏陀の決めた鉄の規律は、守らねばならない。

お寺が<経営>などしていたら、内部から腐敗して、やがては崩壊し、廃寺になるのは、当然なのです。

結婚し、家庭を持ち、お墓のお守りだの、戒名の売買だの、お寺の【経営】にお忙しい<自称僧侶>の方々、日本の仏教界を、どこへ連れて行こうとするのでしょうか

(以前、日本の大乗の僧侶に「日本の僧侶は出家なのか在家なのか?」と問うた所、「我々は、出家の儀式において小乗比丘戒(227戒)を受け、その後に、即刻それを捨てて大乗戒を受け、それもまた捨てているので在家であり、故に妻帯、蓄財可能である」とお答えいただいた事がありますが、僧侶とはすなわち出家者という意味である以上、

<在家の出家僧侶>というものは絶対的言語矛盾であって、決して存在しえない。

「在家の僧侶であるが故に、何をしてもOKなのだ」というのは甚だしい詭弁(<白い黒色>というものが存在し得ないのと同じ)、それが己自身を毒し、仏教界全体を汚染している事に気が付かない・・・今後も、僧侶が襟を糺さないのであれば、日本の仏教界の再生は不可能であると、私は思います。蛇足ながら、僧侶と言いながら結婚するのは日本の僧侶のみであって、中国、台湾、韓国の大乗の比丘、比丘尼方は、皆独身で、お寺(集団)か精舎(個人)に住んでいるものです。

<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>