南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

般若の独り言~信仰の否定

本日のブログ記事

<般若の独り言~諸仏所教導之真諦>

の最後に書きました、仏教は信仰ではない、という事について。

先日、水中運動の仲間のおじさん(正確にはおじいさん)と話をしていて、私の次男がいまだ独身であるという事に話題が及ぶと「あなた(お母さんの?または息子本人の?)、信仰が足りないから、嫁が来てくれないのだよ」

と言われました。

仏教では、そもそも信仰(何かを信じればご利益があるというタイプの信仰)は、厳に慎むべきだ、といいます。

この世には世俗諦と究極諦があり、世俗諦はマクロの世界観、究極諦はミクロの世界観ということを、瞑想でもって体験したその貴重な真理を、広く世に弘めて下さった諸仏に、我々仏教徒は感謝し、かつその言説を<信>頼し、

<仰>ぎ見ることはあっても、理性の欠いた信仰とか、情熱に任せた盲信などとは、仏教徒は、全くの無縁なのであります。

日本語の<信仰>という言葉には、【とりあえず信じて、ついて行く】という語感があって、私は好きになれません。

中国語の<信仰(xinyang)>は、仏陀を<信>頼して、

<仰>ぎ見るというニュアンスがあって、私は、こちらを取ります。

<成仏><縁起><因縁>等の言葉もそうですが、日本の仏教用語は俗化した結果、本来の意味が見失われていて、非常に残念であり、危険でもあると思います。

<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>