老婆の独り言~難病に思う(正念と正定)
先日、京都で、ALSの患者さんに、二人の医師が過剰な睡眠薬を注射して、死に至らしめたニュースが流れました。
ALSの患者さんが依頼した、嘱託殺人、との事です。
難病にかかったら、生きていたくない、死にたくなる・・・というのは、よく理解できます。
私は、50歳の時に癌にかかり、手術は成功したものの、その後、手術の傷が癒えぬうちに、ある看護師さんに心無い一言を浴びせられ、
それから毎日、
『明日死のう、明日死のう』と、
四六時中、死ぬことばかりを考える、一種の
【死にたいノイローゼ】
にかかった事があります。
私の場合、このノイローゼが治ったのは、退院して自宅で療養していた時、ある動作中(=夕食の準備に大根を切っていた時)に、正定に入ると共に、正念を取り戻したのが、大きな切っ掛けでありました(その時、正定と正念によって、私の、看護師さんへの怒りは、己自身の無明と執着から来ている事を観じる事ができ、その時、【死にたいノイローゼ】は、瞬時に消え去りました。)
タイの聖者であるアーチャン・マン(遷化)は、荒野で修行している時に病気になり、町に下りて医者にかかろうかと迷った時、
【 『病気・死とは何か?』
『病気・死への恐れとは何か?』
今、これを徹底的に観じて、悟りを開こう! 】
と決意して、荒野に留まって、修行を続けた、と私が持っている、アチャン・マンの自伝書に書かれています。
病気(難病)になってから、己自身の心の中に、正念と正定を確保するのはなかなか難しいので、普段から座禅・瞑想して、正念と正定ができる様になって、<己自身が己自身の観察者>になる訓練が出来ているとよいのですが・・・日本はオウムの事件もあって、知人、友人、出会う人々に、正定と正念を含む<八正道>に関する会話、対話ができる雰囲気にないのが、大変に残念です(現在の日本は、宗教的な話をすると、すぐに 『勧誘された』 と言って、敬遠されてしまいますから)。
<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>