般若の独り言~仏教と科学(色聚と素粒子)
先日、私のブログで、ゴータマ仏陀の教え(アビダンマ)に出てくる所の、テーラワーダ仏教徒・・・パオ森林僧院に属する者は、その願望が特に強いと思われますが・・・座禅・瞑想を通して、心眼で観じたいと願っている所の
<色聚(ルーパ・カラーパ)>
は、現代物理学で言えば、素粒子の事である、または、
素粒子の様なものである、と書きました。
《素粒子である》と断定的に書くと、
「お前は実際に観じたのか?」
とツッコミが入りそうなので、
<素粒子など(の様なもの)>、
と、(含みを持たせて)書いておいたのですが、やはり、疑問に思う賢兄、賢姉の読者はいて、
「本当にそうなのか?」
という、鋭いご質問を頂きました。
私が、パオ・セヤドーの著書を翻訳していた時(20年前)、著書の中に出てくる<色聚>という言葉に関して
[細胞より小さく、素粒子より大きい物質]
という<注>を書いたのを覚えています。
パオ出身の修行者で、
「色聚は<クォーク>である」
と言う人もいます。
素粒子自体、いまだ全容を分かっていない訳ですから、
<色聚=100%素粒子と同じ>とするのは、少々強引すぎるきらいがあるのは事実でありまして、現時点では、色聚は、
【細胞より小さく、素粒子より大きいか、または素粒子に近似の、極微の物質】
としておくのが、無難かと思います
・・・ゴータマ仏陀は、色聚に、8種類の性質(地、水、火、風、色彩、匂い、味と栄養素)を言う事は、前回のブログにも書きましたが、それが、素粒子の性質と、どの様に対応し、どの様に比定する事が出来るのか(またはできないか)は、今後、素粒子物理学者と仏教者の共同研究が必要かも知れません。
この事は、ダライ・ラマ猊下も、関心を寄せられている様で、著書
『ダライ・ラマ 科学への旅 原子の中の宇宙』
『宇宙のダルマ』
という好著がございますので、賢兄、賢姉の皆さま、
是非、ご参考下さい。