あなたが今識別しているのは、まさに仏陀が《大念処經》(Mahāsatipaṭṭhāna)において教導しているが如く:
「では、比庫たちよ。
比庫は一体、如何にして、心随観心において住するのか?
比庫たちよ、
[1]貪心(sarāgacitta)がある事に対して
『貪心がある』と了知する;
[2]離貪心(vītarāgacitta)がある事に対して
『離貪心がある』と了知する;
[3]瞋心(sodasacitta)がある事に対して
『瞋心がある』と了知する;
[4]離瞋心(vīadosacitta)がある事に対して
『離瞋心がある』と了知する;
[5]痴心(samhacitta)がある事に対して
『痴心がある』と了知する;
[6]離痴心(vītamohacitta)がある事に対して
『離痴心がある』と了知する;
[7]昏昧心(saṅkhittacitta)がある事に対して
『昏昧心がある』と了知する;
[8]散乱心(vikkhittacitta)がある事に対して
『散乱心がある』と了知する;
[9]広大心(mahaggatacitta)<注61>がある事に対して『広大心がある』と了知する;
[10]不広大心(mahaggatacitta)がある事に対して
『不広大心がある』と了知する;
[11]上心(sa-uttaracitta)<注61>がある事に対して
『上心がある』と了知する;
[12]上心がない(anuttaracitta)事に対して
『上心がない』と了知する;
[13]定心を得た心(得定心=samāhitacitta)がある事に対して
『得定心がある』と了知する;
[14]定心がない(asamāhitacitta)事に対して
『無定心がある』と了知する;
[15]解脱心(vimuttacitta)<注61>がある事に対して
『解脱心がある』と了知する;
[16]未解脱心(avīmuttacitta)がある事に対して
『未解脱心がある』と了知する。
この様に、内(ajjhattaṃ)に、心随観心において住し、または外(bhhiddhā)に、心随観心において住し、または内外(ajjhattabahiddhā)に、心随観心において住する。」(D .2.381)
ここにおいて、仏陀は名法を16種類の心に分類しているが、それはすなわち、あなたは、六根門を通して、一対ごとの心を如実に知見しなければならない事を意味しているが、それは例えば、貪を伴った心と離貪を伴った心に対して、内観、外観、内外観を実践する。この様にすれば、あなたは究極名法に通達(到達)する事が出来るし、かつ、如実知見することができる。
<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>