Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳『親知実見』#15-8

こうした事から、この段階において、あなたがなさねばならない事は、ただ息を平静にせんと決意して、かつ、それを持続的に、不断に、覚知する事である。

この様にすれば、あなたは、息が更に平静に変化している事を発見するであろうし、(この時)禅相もまた出現するであろう。

禅相が出現せんとする時、多くの禅修行者は、幾つかの問題に遭遇するであろう。

大多数の禅修行者は、息が非常に微細で、かつ不鮮明になっているのを発見する。

その時、彼らは、息がすでに停止したのではないかと、思ってしまう。

もし、この様な状況が発生した場合、あなたは、最後に息を知り・察した所で、覚知を保持し、かつ、それが出現するのを待つ(のがよい)。

七種類の人だけが、呼吸をしない:

死者、胎児、溺水者、悶絶者、第四禅に入った者、入滅定者<注90>と梵天人である。

禅修行者は、己自身は上記の者の内の一人ではない事を省察しなければならない。

実際、あなたには呼吸があり、ただ、正念が不足しているが故に、息を覚知できないでいるだけある。

息が微細になった時、息が鮮明になる様に意図して、加工をしてはならない、というのも、この様な努力は、(心の)かく乱と不安を呼び起こし、その為、あなたの定力が上昇していかないが故に。

ただ、息を如実に覚知する事。もし、それが不鮮明であるならば、それを最後に覚知した所において、静かに待てばよい。この方式によって、正念と智慧を投入すれば、あなたは、息が再度出現するのを発見するであろう。

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>