今、緬甸(ミャンマー)は、軍部のクーデターにより、
動乱の中にあります。
緬甸は仏教国なのに、これは一体どういう事なのか?
と首をかしげている人も、いるかと思います。
私は、若いころから、原始仏教を学ぶ為に、度々、タイと緬甸を訪れていますが、「仏教国」 というのは、本当に成立するのか、と疑問に思っています。
例えば、<微笑の国> と言われるタイでは、毎日何かしら殺人事件が新聞を賑わせますし、緬甸もロヒンギャ問題どころか、軍部の無差別殺人まで生じています。
20年前の事ですが、緬甸の佛教大学に留学した日本人女子学生が、出家比丘に金品を盗まれて、非常に落胆して、留学を早早に切り上げて、日本に戻った、という事がありました。
どこの国にも、栄光があり、恥部がある。
それは、国家、というのは凡夫の集まりで構成されているから、ですね。
2600年前、ゴータマ仏陀は以下の様にいいました
「私は、私の知り得た真理(四聖諦)を、希望する者に教える事ができる。
しかし、私が教えた通り、学んだ通りに、修行して、悟りを得るかどうかは、その人次第。
私が指し示す聖なる道を、人は自分の足で歩まねばならないが、行く道を間違える人はいて、それを私はどうしようもできないのです」
実は、<仏教国>というレッテルは、外部の第三者、マスコミ、脳天気者が貼り付けたものであって、タイや緬甸は、原始仏教が温存されていて、パーリ三蔵を学んだり、修行したりする条件が比較的整った国ではあっても、外部者が脳内で描く所の <お花畑国家> ではない、という事です。
法は、己自身の心の中にあるのです。