私は子供の頃から仏教が好きで、小さい時から、手当たり次第に(日本語の)仏教書を、読んでいました。
ただ、世の中にパーリ仏教(原始仏教)があるのを知らないでいましたから、読むのはもっぱら大乗仏教の本。
その中で、好きだったのが、道元禅師の著書。
今は、パオ・メソッドが好きで、止観(サマタ・vipassanā)瞑想に取り組んでいて、それは、禅宗の只管打坐とは少し異なりますが、道元禅師の言葉で
『畢竟如何?』
というのがあり、この言葉は、今でも私の心に刺さります(刺さったままです~笑)。
道元禅師が中国(宋の時代でしたか)に仏教留学した時、禅師を乗せた日本船は、中国の寧波の港に停泊しました。
日本からやってきた船に、干しシイタケが積んであるからと、これを求めて、中国の老僧がやって来ます。
道元禅師は、これから本格的に仏教を学ぶのだ!
という高揚感いっぱいで、この老僧に
「私は、仏教の真髄を学んで日本に帰り、日本の国民を幸せにしたいのです」
といいます。その時、老僧が放った一言
『畢竟如何?』
(人を幸せにしたい?
人々が幸せになる?
それが一体どうした?)
私たちが、たとえ社会的幸福、富、地位、賞賛、円満な家庭を得ても、内心の虚無は、決して消える事がありません。
人生の最後には必ず、 <死>という名の闇が、ポッカリ口を開けて、待ち受けている・・・人はそれを決して、真正面から見ようとはしないですけれど。
私は、パオ・メソッドの修行が、上手くいくときもあれば、上手くいかない時もありますが、特段、悲観する事はありません(注1)。
私は修行が上手くいっても行かなくても、常に、人生の始まり、赤子の初心に、帰る様に心がけています・・・
『畢竟如何?』
の言葉と共に。
(注1)コロナ禍の為、双方往来できず、直接、セヤドー、サヤレー方の指導を受ける事ができない。また、2月1日の緬甸軍部独裁者クーデターで、今後、緬甸に行って、指導を受けられるという、保証はない。