南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

Paññādhika Sayalay の経歴

当ブログ【マハーカルナー禅師の矛盾-2】(2022年4月24日)で、<禅師はご自分の経歴、特に出家後の軌跡を公開すべきだ>と申しあげましたので、私も、自分の経歴を公開したいと思います。

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1949年、神戸にて出生。

祖母、父母、共に台湾からの移民(当時、台湾人は日本国籍を保持していましたので、彼らは外国に来たというよりは、<沖縄から本土に来た> くらいの感じであった様です)。

第二次世界大戦が終了し、私は台湾国籍、特別永住権を有する三世となりました。

6才まで、幼稚園・保育園には行かず、いきなり神戸中華学校に入学。

小学部と中学部があり(高等部はない)、ここで北京語を学ぶ(祖母、父母は日本語、北京語共に出来ないので、我々は、家では台湾語を話しておりました)。

15才で地元の普通高校に進学。

18才で就職の為上京。

20才の時、(父が「女の子は学問する必要ない」と言って、援助してくれないので)自力で大学に進学。

学費が続かず、3年で中退。

(その後、放送大学に3年編入し、『台湾仏教の現状』という題名の卒論を提出。審査合格して、2年間で、卒業。)

その前後に、結婚。

二児の母ながら、フリーランスの通訳・翻訳業(日~中)をして、家計を支える。

1980年代、30才過ぎた頃から、子育てと仕事の合間を縫って、毎年一回、タイ・カンチャナブリに創建された、アチャン・チャー系列の森林僧院(ワット・パー・スナンタ・ワラナム)に行き、テーラワーダ仏教の基礎を学ぶ(日本の大乗仏教関連の書籍を読んでも、ゴータマ仏陀が何を教えたのか、一向にイメージできないため、中村元博士に触発されて、パーリ仏教を学ぶ事にしたもの)。

15年間ほど、タイで学んだ後(業処は安般念)、50歳の時にパオ・セヤドーの『智慧之光』(中国語版)を入手して、衝撃を受ける。

2000年、緬甸の東端の都市モーラミャインにあるパオ森林僧院本山を訪ね、パオ・メソッドの修行開始。

同室の台湾人修行者に勧められて一時出家(先に、パオ・セヤドーの許可を得た後、アッガ・サヤレーを戒師として出家)。一度還俗して、再度、同じく、本山にて出家。

この時、パオ・セヤドーより法名 <Pañña-adhika> を拝命。意味は【般若の智慧の鋭い女性】。

パオ森林僧院での、修行の内容は、安般念と四界分別観の二種類。

修行開始二年半が経った頃、集中力が高まって、いざ定に入ろうか、という時に、頬が痛烈に痛くなる、禅病を発症。

当時はまさか、禅病とは思わず、少し修行を休めば治ると思い、とりあえず、修行を中断して帰国。

2011年、千葉より、九州に引っ越し(一人住まい開始)。

2012年(1213年?)、来日されたクムダセヤドーと、山口県において開催されたリトリートでお会いし、ヤンゴンのモービー僧院に、修行に来る様に勧められる。

65歳の12月、モービー僧院を訪問。クムダセヤドーを戒師として、三度目の出家(注1)。

法名は、パオ・セヤドーが命名された<Pañña-adhika>がとてもよい、という事で、そのまま援用。

サヤレーとなりましたので、九州の住まい(普通の民家)を<般若精舎>と命名

息子たちは、それぞれ、家庭を持って、安穏に暮らしております為、2022年5月現在、私に、還俗の意志なく、現行

   【緬甸パオ森林寺院/ヤンゴン分院所属/

    Pañña-adhika Sayalay (慈悲9戒)】

という身分となります。 

追記:

(1)サヤレーの出家に、戒師は必要ですが、依止師は必要ありません。6年間の依止修行は、具足戒比丘にのみ要求されます。

(2)サヤレーは緬甸語。意味は<小さい先生>。セヤドーは、<大きい先生>。

テーラワーダにおける女性の出家者は、緬甸ではサヤレー、タイではメーチと呼ばれますが、パーリ語ならメーティラシンと言い、その意味は【戒を守ると誓った女性】。

現代の南伝仏教では、比丘尼は存在せず、メーティラシン(サヤレー、メーチ)は、比丘尼では、ありません。

万一、記載の年月日に誤りがありましたら、後日訂正します。

注1=以下において、出家の詳細を再確認します。

1、1980年代より15年間、テーラワーダ仏教を学ぶ為に、タイのワット・パー・スナンタ・ワラナムに通っていた時は、常に、在家。

2、2000年、パオ森林僧院本山に滞在して修行した時の、一回目は3か月程度。この時は、一時出家で、還俗して後、日本に帰国。

3、日本に一時帰国して、トンボ返りでまたパオに。この後は、2年半の滞在。滞在中に、同じく一時出家して、日本帰国時は、還俗。

4、2016 2014年12月(65才の12月)に、ヤンゴンのモービー僧院において出家した後は、還俗せず、サヤレーのまま、現在に至る(この時の戒師は、クムダセヤドー)。

(尚、私が、長年翻訳して(中→日)、その都度、公開して来ましたテーラワーダ系の仏教書閲覧希望の方は、

菩提樹文庫HP》内の、【Paññādhika Sayalay 翻訳コーナー】を、ご訪問下さい。)

以上。

<緬甸パオ森林寺院/ヤンゴン分院所属/

Paññādhika Sayalay 般若精舎>