(携帯で)ロシアによる、暴虐を極めた、ウクライナ侵攻のニュースを見ていまして、
「ウクライナの戦争を見ていると、人間は、いつなんどき死ぬか分からない、という気持ちになった。これからは、心して生きようと思う」
という感慨を述べる人がいました。
仏教では、2600年より前から、
【人身受け難し、仏法聞き難し】
(人として生まれ出る事ができるのは非常に稀で、
人として生まれて、仏法を聞ける環境にあるのは、更に稀な事柄である)
という、言い方があります。
これは、《輪廻はある》と、輪廻の存在を肯定しないと生まれない思想ですが、輪廻があるかどうか、パオ・メソッドで<縁起>の修行(注1)をすれば明確になります。
他人と、輪廻のある・ない論争をしても無意味(時間の無駄)ですが、己の輪廻が分かれば、善業善報、悪業悪報、の因果関係も腹落ちして、戒律違反など、恐くてできなくなります(在家なら在家の五戒、サーマネーンは10戒、具足戒比丘は227戒、サヤレーは出家者向けの5戒~10戒)。
布教によって、世界中の人間を仏教徒に変える、などという夢物語は横に置いておいて、自分一人だけも、正念正知に励み、無常・苦・無我を知って、注意深く生きる事は、動乱の世の中において、大変に価値ある事だと思います。
注1=16観智は、純粋な vipassanā ですが、<縁起>の修行は、サマタとvipassanā の混合となります。
<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/
Paññādhika Sayalay 般若精舎>