第八講 仏陀の弟子と教法に対する期待
(ウィサカ祭における法話)<注416>
仏陀寿行の捨棄
仏陀は木橘村(Veḷuva)において、彼の最後の、一個の、雨安居(vassa)を過ごした。その時、彼は、重病に見舞われた。アーサーラハ(Āsāḷha、太陽暦7月)の満月の日、過去の業が原因で、仏陀は極めて激烈な、忍び難い背痛を感じた。
過去のある一生において、後に釈迦牟尼仏と成る所の菩薩は、相撲取りであった。ある時、彼は対戦相手を打ち負かして地面にたたきつけただけでなく、相手の背骨を折ったのである。
この不善業(akusala kamma)は、釈迦牟尼仏が般涅槃する10か月前に熟して、かつ果報を生じた。この種の業の力は非常に強烈であって、それは死亡するまで延々と継続するものであった。この種の苦痛を「死によってようやく終わる苦受」(maraṇantika vedāna)と言う。
それは、死亡が発生して初めて消失するものである。<注417>。
この種の苦受が生じることを防止する為、仏陀は阿羅漢果定に入り、かつ決意(adhiṭṭhāna)をした。仏陀は、先に色七法観(rūpasattaka vipassanā)と非色七法観(arūpasattaka vipassanā)<注418>に基づいた阿羅漢果定(arahattaphalasamāpatti)に入った。これらの観法を完成させた後で、かつ、阿羅漢果定に入る前、仏陀は以下の様に決意した:
「今より、私が般涅槃する日まで、この苦受が二度と生起しない事を願う。」