我々はまた、人、有情、男性、女性は、見た所、恒常であって不変の様であるけれども、それらは更に分解して、究極諦とする事ができる、という事はすでに述べた。
一つの非常に有名な例は、なぜ、男性とか女性とか、恒常不変の様に見えるものの、実際には、それらは真正なる存在としての究極的実質に欠けている事に関しての、説明をするのに、非常に適合している。
この例とはすなわち、ミランダ国王と那先比丘(Nagasenaママ)の対話である。
インドのミランダ国王は、弁才第一で、彼に仏法を説いてあげたとして、彼を言い負かすことの出来る人は、インド全土のどこを探し回ってもいなかった。
その為彼は豪語した:
「インドは空洞でできている!」
その時、ある比丘がそれを聞きつけて、言った:
「これはよくない!この人物はあまりに傲慢である。」
そして、那先比丘を派遣して、挑戦させた。
ミランダ国王は、那先比丘の名を聞いた時、過去の業の故に、心中に震えが生じた!
しかし、それがどうあれ、彼は馬車に乗って、那先比丘に会いに行った。
那先比丘に会うと、先に三度礼拝し、以下の様に訊ねた:「尊者、あなたの同参、道友は、あなたをどの様に呼びますか?」
「陛下、私の同参、道友は、私の事を那先と呼びます。しかし、那先比丘は、究極的には、存在しないのです。」
(2-19につづく)
★句読点は中国語原文を優先尊重。
<願以此功徳、早日証得涅槃楽>
<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/
Paññādhika Sayalay 般若精舎>。