無所有処無色禅から非想非非想処禅に入る為には、無所有処禅心を目標に取る。というのも、「有」は良くないのであって、「有」があれば、痛苦が存在する。
「無い」がもっとも良く、故に、無所有処の心を観ずるのを至上とし、この心をば、至上、至上・・・(と観ずれば)非想非非想処無色禅を証得する事ができる。
なぜ、非想非非想と呼ぶのであるか?
(3-129につづく)
<願以此法布施功徳、早日証得涅槃楽>
無所有処無色禅から非想非非想処禅に入る為には、無所有処禅心を目標に取る。というのも、「有」は良くないのであって、「有」があれば、痛苦が存在する。
「無い」がもっとも良く、故に、無所有処の心を観ずるのを至上とし、この心をば、至上、至上・・・(と観ずれば)非想非非想処無色禅を証得する事ができる。
なぜ、非想非非想と呼ぶのであるか?
(3-129につづく)
<願以此法布施功徳、早日証得涅槃楽>