翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(8ー3)(私家版)
ひとたび、智慧の光が生起したならば、(修行者には)はっきりと色聚を見る事ができる。 ゆえに、智慧の作用とは光を付与する事、その結果、目標を明晰・明瞭にせしめるものである、と言える。 例えば、夜空に明るい満月が出ているとして、その後に黒い雲が出てきて、月を覆い隠して、結果、あなたは、月が見えなくなったとする。 あなたには、月は見えなくなったが、月が存在しなくなった訳ではない。ただ、覆い隠されただけである。 黒い雲とは無明のことであり、月とは四聖諦の事である。 四聖諦は存在するが、ただ、無明によって覆い隠されていて、我々には見えないのである。 ひとたび、黒い雲が、流れ去ったならば、月はまた輝く。 同様に、ひとたび智慧が生起して、無明が取り払われたならば、四聖諦は、充分に展開される。 智慧の現起に、迷いはない(=智慧が生起するとき、生起したかどうか、戸惑うことはない)。 近因は、定。 故に仏陀は言う:「定ある者は、究極法を如実に見る事ができる。」 文責:Pannyaーadhika Sayalay(緬甸パオ森林僧院ヤンゴン分院所属/般若精舎)