WEBのニュースで、高見知佳さんが肺癌と子宮癌を併発、またその転移で、発病後一月程で亡くなられたとの事です。 才能あり、かわいい方でしたし、まだ60歳では惜しまれますね。 私は50歳の時に子宮癌で手術、その後に <再発ノイローゼ>と言う、全くもって有難くない副作用まで頂いて、大変な思いをしました(とまぁ、自分の事はどうでもいいのですが……) 人間は、生まれて来れば病に倒れ、最後は死で終わります。 タイの阿羅漢でありましたアチャン・マンは、荒野で修行をしていた時、病気になりました。 医者にかかるには町へ降りなければなりません。どうしようかと迷った時、 「私はなぜ病を嫌い、死を恐れるのだろうか?」 「今が心の深層を探る修行の時かも知れない」 と思い直し、そのまま荒野に踏みとどまって、結果、悟りを得たとの事です。 ゴータマ仏陀は、【身体と心は、己のものではない】と教えました。 アチャン・マンには、それが分かった……否、vipassana(観察の瞑想) を実践していたならば、その消息が心眼で《観えた》はずです。 《身体と心が己のものでないならば、では、己/私 とは誰か?》 という疑問は、仏教では問わないことになっています。 [私とはこの様なものである……斯々然々] と説明すれば、それは己の外にあり、己自身ではありえないからです。 この事はまた、【見るものと見られるもの】と表現されることもありますが、それ故に、仏教では〈自分探し〉はしないのです。 ある程度 vipassana が出来る人でも、ここを乗り越えるのは、少し難しいかも知れません。