Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

宗教の強制

本日のWEBニュースで、統一教会問題に絡んで、<子供への宗教の強制は児童虐待>と言う政府の指針が出た、との事です…                              その前に、信仰とは何か?と言う定義が、国民の間に、広く認定されなければなりませんが、これ、なかなか厄介です(中国語の<信仰>と日本語の【信仰】、ニュアンスが微妙に異なりますが、これは横に置きます)。                   例えば私は、神様の存在を認めますが、神様信仰はしておりません。ゴータマ仏陀は、歴史的に実在しただろうとは思っていますが、彼を信仰しているのではなくて、彼の説いた<世界の存在の在り方>=量子論宇宙論量子論的心身論・認識論が好きなだけです。                    量子物理学の研究者を<量子物理学を信仰している者>とは言わないので、このあたりちょっと微妙です(科学者は道徳を説かず、仏教は道徳を説く、という違いはあります。)。               中国発祥の気功も、仙人の存在を信じ、経絡・丹田(チャクラ)を信じる人と、気功をラジオ体操の一種くらいに考える人では、見ている風景が異なります。               私は、昔欧州で迫害されて、アメリカに集団移住したアーミッシュの考え方が好きです。彼らは、キリスト教徒になりたいかどうかは、二十歳になつてから自分で決める、幼児洗礼反対!と主張します(←これで迫害されたそうです)                約束事が厳しい方(神に仕える身として大学進学禁止など)の正統アーミッシュがいやなら、戒律緩めの分派アーミッシュになつても良いし、無神論者になっても良い訳で……                何を信じるかは二十歳まではモラトリアム扱いで、二十歳以降、自分で決めればよい……                  人が己の貴重な一生を歩む時に、己の背骨、軸、心の支えとなる宗教、思想、哲学は、自分で探し出して、最適解を見つけ、納得した上で、一人静かに実践すればよいのだと、思います。