Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

怒りの考察(二矢を受けず)

仏教を学び、修行していますと、《悟りを開いた人は怒らない、怒ってはならない》と聞いて、『自分もそうありたい』と思う事があります。。。。。。。。。。。               ただ、これには少々、誤解がある様に思います。。。。…。                  私達は不如意の事、意に沿わない事に出くわすと、感情が高ぶり、それが一定の線を超えると、『あ、今、自分は怒っているな』と思う訳ですが………。。。          これは誰にもある事です、少なくとも凡夫なら…………………                   問題は、瞬時の怒りの後、どれだけ速やかに怒りを収める事ができるか、という事です。。。                瞬間の怒りを、恥じる事はないです。。。。。                その理由として、以下の様な理論を見聞きしました。。。。。。。                         人類、ホモサピエンスがここまで生き延びてきたのは、                【野獣等、己に危害を加える他者への、適度で適切な警戒心】               があったから、と言われています。。。   しかし、文明が進み、己(ホモサピエンス)を取り巻く危険性は減ったのに、(熊の被害はありますが、常に野獣に襲われる過酷な状況にはない)高い警戒心はそのまま。。。               その結果、見えない敵、幻の敵、妄想の敵、仮想の敵に怯え、常にイライラしているという、本末転倒が起こっている、という訳です。。。               ここをよく理解して、怒りが出るのはホモサピエンスの末裔なら仕方がない。しかし、怒りは己にも、他者にも、その場の雰囲気にもそぐわないのであるから、なるべく速く引っ込めた方がスマート、な訳です。。。                そこで座禅瞑想!お勧めは安般念!……………              怒りが発生した瞬間、それに気がついて、寸止めで止めて、手放す早業!           塚原卜伝さんもびっくり…笑。     追加:仏陀も怒る事はあった様です(仏の顔も三度まで!)。しかし、直ぐにさっと冷静になる。これを<(仏陀は)二矢を受けず>と言います(一番目の矢は、外部から射られたもの、二番目の矢は己が己に射たもの)。。                 又、幼子が危険な事をした時に、親は怒ったふりをして叱る事があります。《冷めた怒り、演技の怒り》と言いますか。こういう態度は必要だと思います。。。。。