仏教徒は怒らない、怒ってはならない・・・って本当でしょうか?
まず、聖者なら、あまり怒らないだろう、という事は想像が付きます。
悟りを得た聖者は、身体・物質は、素粒子でできていて、それは無常・苦・無我であり、心の働きもまた無常・苦・無我であり、かつそれは縁と因によって生起する事から、己自身を含む、認知、認識の対象や現象に対して怒っても、無意味である事を知っていますから。
しかし、ゴータマ仏陀だって怒る・・・正確には不愉快に感じる・・・事はあった様です。
菩提樹の下で修行され、証悟を得た後初めて、母国、故郷のカビラバットゥに帰った時(凱旋でしょうか?)、
「なに、あの若造が戻ってきたのか?」
と言って、彼を馬鹿にして、母国の人々は、誰一人迎えに出ない、という事が起こりました。
ゴータマ仏陀は、これは仏陀に対する正しい態度ではない、と思い、双神変を示し見せた所、母国の人々は恐れ入って、総出で出迎えたそうです。なお、双神変とは、足から火を、手から水を、同時に吹き出す所の、仏陀にしかできない神通の事です。
間違ったプライド、過度なプライドは、己自身も、他者をも傷つけますが、我々仏教徒は、仏教徒としての矜持はあるはずで、それは保たねばならない。
聖者の矜持、仏教徒の矜持・・・それは、仏の顔も三度まで、または高度な神通となって示される、というわけです。
<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>