如来は《火堆喩経》の中において、更に進んで以下の様に言う。。。 たとえ身体が、熱く焼かれた鉄片に囲まれたとしても、その苦しみは破戒の人が、信施の袈裟を着て受ける所の、果報の苦には及ばない。。。 たとえ口を、赤く焼けた鉄の鉗子で、無理やり開けさせられて、熱く焼けた鉄球を飲み込まされたとしても、その苦しみは、破戒の人が信施の食べ物を受け取って食べた所の、その果報の苦には及ばない。。。 熱く焼けた鉄の椅子又は鉄のベッドに座らされたとしても、その苦しみは、破戒の人が信施の椅子やベッドを使用した結果、得た所の、果報の苦には及ばない。。。 たとえ、頭が下、足が上になる様に吊るされて、溶けた鉄の溶液に浸されたとしても、その苦しみは、破戒の人が信施の寺院に住んで受ける所の、果報の苦には及ばない。。。 《火堆喩経》は、すでに沙門法において堕落しておりながら、尚、沙門の相(様相)を呈する所の、戒律違反者が受けなければならない果報に関する説明である。。